ぼくもユーフォが完結したらかなり寂しい気分にひたることになるとは思うけど、その前に原作既読組とおぼしき人々に言っておきたいこと

 ツイッターとかで黒江真由の久美子への「執着」と言っている人はたぶん、原作既読の人々であると思う。アニメのみのぼくからすると黒江真由が久美子に相談しているのはたまたま久美子が部長であるから、たまたま久美子とソリを競うことになったからということがまず、あり、それだけではないとするなら、水着回で黒江真由が語っていた『リズと青い鳥』解釈に関係することなのかな、と思う程度なので、やはり、「執着」ということばは意味が過剰している気がする。繰り返すが、原作での描写を含まず、あくまでもアニメにおける描写からぼくが理解できたところのみに絞ってお話をしているのである。アニメ視聴組は読みが浅いと思ってもらって構わないが、読んでないことを想像できないのはぼくにとってはちっとも恥ずかしいことではないのである。

 黒江真由の『リズと青い鳥』解釈について
 あれだけたくさんの動植物に囲まれているのに青い鳥に固執するのは欲張りというような解釈を黒江真由は提示していた。黒江真由はそこまではっきり言明していないが、そのリズ像が黄前久美子を示している、とぼくは思った。
 あれだけたくさんの部員に囲まれているのになぜ高坂麗奈とのソリにこだわるのか?それはただの欲張りに黒江真由には見えている、ぼくは考えたということである。なので、黒江真由が久美子に関心があるとは言えるし、また、久美子のことは欲張りとはおもっていても、そのよく欲張りなところを否定的に見ているわけではないと言えるはずである。というのは、黒江真由の自己分析によると彼女にとってたいていのことはどっちでもいい、つまり、これといったこだわりや執着が無い上に、そんな自分のことが好きではないようなので、むしろ、久美子のようにそれがある人への憧れを持っているとすら思える。であるから、少々、しつこいとは思いつつも、ぼくは黒江真由を変人とは思わない。(11話でちょっと呆れるくらいしつこいとはおもったけど、水曜日くらいになると、まあ、あんなもんかくらいに思えてくるので不思議である。)
 黒江真由の自己嫌悪にかかわることなので、久美子に対する思いを興味本位とまでは言えないけど、それとは逆に「執着」というほど重いものにも思えない。自分にないものを持っている他者への関心という感じと理解している。

 ※真由が久美子にソリを吹いてもらいたいと思っているのは本当でしょう。部にとってもその方が穏当と思っているのも本当でしょう。

 もうひとつ言いたいことがあったの思い出した。
 アニメの解釈なんてくだらないという意見に対して、そう思う人がいるのは別に気にならないし、そういうことを言いたいのなら、勝手に言ってろぐらいにしか思わんけど、そこに「高尚な」文学を対置する必要はないだろう。高尚な文学であろうとまじめな解釈をするなんて時間の無駄というなら、まだわかる。
 アニメでも、文学でも好きでどれくらい作品に迫れるかに挑戦しているだけなのでごちゃごちゃうるせーんだよとしか思えん。
 だいたい、アニメの解釈とか考察が下らんというのなら、その最たるものはエヴァ「考察」ではないか。ぼくはそれであっても、「下らん」とは思いわず、「つまらん」と言うようにしているが…実際、つまんないし。本編以上に内容が膨れ上がる「考察」とかつまらん。
 誤解なきように補足しておくとエヴァをつまらんと言っているわけではない。エヴァはあまりおもしろくないと思うけど、つまらんとまでは思わないだけで、本編の内容以上に膨れ上がった「考察」をつまらんと思っているだけだ。

 ※エヴァについては、自分の好きな女を母に変えた息子に父が嫉妬する物語という理解をしている。いわば、あの物語を動かしているのは父の息子への嫉妬心ということである。よくある凡庸なエヴァ解釈のひとつだろう。

 ともかく、ぼくは好きなアニメはどんな作品なのかを考えたいだけ。つきつめれば、ぼくは作品のどこに感動したのかを知りたいだけ。まっ…なんでそんなことをしているのかと言えば、ぼくにとっての謎のひとつは生きていることがただの暇つぶしなら、なんでぼくはたまにすごく楽しかったり、悲しかったりするのか?それがすごく不思議だから…言い換えるなら、暇つぶしというわりにはぼくの人生は楽しすぎるし、悲しすぎる。これが不思議なのだけど、きっとこの疑問に対する答えにぼくはたどり着けない。でも、ぼくが楽しいと感じたり、悲しいと感じる作品のどこに楽しさや悲しさがあるかを見出すことくらいはできるんじゃないか、と思っているので、それを実行しているだけなのだ。
 文句を言ったけど、全然、スッキリしない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?