ここ2週間くらいかけて…ネタバレまくりなので気を付けてください。

 バイデンさんが撤退表明するらしい。法的な問題はあるのだろう。ただ、なんというか政治というものはそういうものだと言われたら、閉口するしかないが、共和党にバイデンさんに関する批判のうち、高齢であるというものは今回、功を奏したということになるのか?ここでさらに畳みかけるように、共和党が民主党への攻勢を強めるのなら、なんとも言えない気分になる。共和党が高齢であることを批判し、彼らの望み通り?バイデンさんが大統領選から撤退したら、次はここにきて民主的な手続きを経て選ばれた民主党のリーダーであるバイデンさんが大統領選から降り、別の人にそれを譲るのは民主的ではない、というようなその場ですぐに思いつくような批判が共和党によって展開されるとしたら、そして、それをぼくが目にするとしたら、…閉口するというか、辟易するするというか、あらためて、政治的人間というものについての見方が深まるのか?よくわからない。
 ここ数日、五輪代表選手が出場を辞退したらしい。これを機にたばこと酒をたしなめるようになる年齢の引き下げを求める運動に対してぼく個人は賛成も反対もない。そもそも成人年齢引き下げに反対だったし…ただ、成人年齢引き下げによって多くのビジネスチャンスが生まれたのだろうと冷めた目で見るくらいのもので…ついつい脱線してしまったが、今回の出場辞退のケースは法的な問題というのはそれほど重要ではないだろうという点をメモに残しておきたい。通報があって今回の事態に発展したということのようであるが、また、ネットはその通報者がだれか?という点で若干、盛り上がっていたようでもあるが、この種の通報者探しの流れにははっきりと与したくない。そういうのは止せよ、と思う。ただ、通報がどこに行ったのか?通報者がどこを通報先に選んだのか?そこは着目すべきだろう。結局は日本体操協会という組織の(決断の)問題なのだと思う。外部にあって法の問題としてそれを語ることはいいのだけど、このケースに関する問題の語られ方としてはほぼ意味がないと思う。五輪代表の選考に際して起きた問題という点から見てみないと見ることができない問題があるということだ。が、ぼくは五輪に関心がないので、この問題はスルーしようと思う。
 例によって脱線から始まったが…
 二週間くらいかけて、ちょっとずつアニメ『PSYCHO-PASS』を見ていた。アニメ『ばいばい、アース』を見ようと思っていたので、単に冲方丁さんに関連する作品ということで、『PSYCHO-PASS』シリーズを見ようと思っただけが、1期はすでに見ていたので、2期、3期を見たのだ。劇場版についてはいまだに未見である。

 アニメ『PSYCHO-PASS』シリーズについて
 1期では狡噛慎也は物語的盛り上がりには貢献したが、テーマ的には不要な存在と1期を見終わったときに思った。彼が槙島聖護を殺処分する場面が物語的クライマックスであるにしても、本作のシビュラシステムというものを中心に据えたその価値を問う闘争においては狡噛以上に常守朱のほうが重要であるからだ。法とシビュラシステムの問題が1期のテーマのひとつか。
 ただ、1期の狡噛による槙島の殺処分は2期、3期にもつながっていくので、上記のぼくの見方は修正が必要だろう。
 鹿矛囲桐斗はシビュラシステムに己が色とシステムの色を問うた結果、殺処分された。ドミネーター、すなわち、システムに認識されるに至り、社会運営上、そのシステムに問題ありと判断されれば、あの社会から排除可能な存在として規定されたということである。
 ちょっと時間がない。端折ろう。
 ①シビュラシステムへの疑義、その不完全性への疑義
 ②①の疑義からくる法とシステムの関係
 ③システムの不完全性とはシステムには認識できないものがあるということ→システムに認識できないものはあの社会では存在しないものして扱われる。→その者たちの疎外感。

 3期の梓澤廣一は免罪体質者でもないし、桐斗のようにシビュラシステムに認識できない存在でもなく、ただの凡庸な人間だったため、シビュラシステムの中に取り込まれるという彼の望みは叶わなかった。
 1から3期では主犯に共通する要素は「疎外感」で、その疎外感はシビュラシステムによって構造的に生み出されたものか?つまり、あの社会が生み出した化け物か?(梓澤については化け物ではなかった点が肝だが…)
 シビュラシステムが構造的に生み出したものは他にもあるというのが3期のスラム街と移民の不法滞在ということか。
 桐斗はシビュラシステムによって生み出されたといってよいのか?パノプティコン計画をつぶす過程で起きた交通事故の犠牲者という見方自体が、これ、実は陰謀論というのがキモであろう。

 マジで時間がない。
 本作と「デジタル民主主義」
 システムに判断を委ねるとして、どこまでそれを委ねるのか?人間はすべての判断をシステムに預けるのか?銃の引き金を引く判断だけは渡さない?
 あと、この種のシステムを継続させる要件にこのシステムを疑い続けてくれる人というのがあると思う。常守朱→鹿矛囲桐斗→慎導灼の系譜だが、灼はシステムへの信頼を持っているか…朱も1期終盤と2期で違うかも。
 「デジタル民主主義」みたいなことを言っている人たちの主張とか全然、知らないけど、今後は注目してみよう。

 2期を見るのをずっと避けていた理由
 集団ヒステリーのお話だと思っていた。ちょっと違った。
 個々の成員としては問題なくても、集団として問題あるとシステムに判断されるケースについての問題だった。まあ。実はここもちょっと作品に納得できない部分ではある。魔女狩りを起こすのはシステムなのか?人間なのか?どっちもそれを起こす可能性はある。で、魔女狩りが起きるケース自体がたぶん、非常に皮肉そのものであるといことだ。個々人としてはシステム上、問題なくとも集団として問題あると判断されたとき、そのとき、その集団はおそらく社会から排除される。それはまるで魔女狩りのように。そのとき、その集団を積極的に排除しようとする社会自体がまさに個々人としてはシステム上、問題なくても、集団としては問題がある集団そのものになっているはずだからだ。←この点に納得できないというか、もやっとする。という見方こそが制作者たちの期待する見方であるとすれば、さらにもやっとする?(苦笑い)
 シビュラシステムが魔女狩りの歯止めにならない可能性、むしろ、それに拍車をかける可能性か?「デジタル民主主義」は?
 人工知能に期待されることは、人間の頭がおかしくなって、魔女狩りを始めたときの歯止めとか、なのか?でも、それを人工知能に期待するはおかなしなことで、ときに人間はあやまちをおかすようでないとダメな気がする。こういうことを書くと怒られるであろうと思うが、だから「偶然にも」おもしろいアニメ、文学が生まれる。「偶然にも」としたのは、おもしろいアニメや文学が生まれることを目的にはできないという意味で、そういうものが生まれるのはたまたまなのだ、ということである。

 時間がない。続きは、また、こんど。

 ひとつだけ、『ばいばい、アース』も古典的孤独問題と思う。だから、『PSYCHO-PASS』2期、3期を見ようと思った。このシーリーズは孤独問題を捨てたのか、どうか、確認したくて。捨ててなかった。
 皆城総士、真壁一騎、遠見真矢、それぞれの孤独とその違い。
 

 

 


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