春アニメ メモ 今期はオリジナルアニメがおもしろい。

 『終末トレインどこへいく?』、『ガールズバンドクライ』、『夜のクラゲは泳げない』、『時光代理人』の四つを見ていたが、いずれもおもしろかった。
 継続して見ていたのでは、『このすば』、『ゆるキャン△』、『ユーフォ』もおもしろかった。ダクネスはイケボであると思う。志摩リンのあの巨大な人形、ツイッターで流れてくるあの写真にでてくるやつはまったくかわいくないのでよいと思う。
 『ブルアカ』もおもしろかった。あの世界が根本的にイミフだが、…続編のアニメ化にも期待したい。ソシャゲのほうでけっこう長く続いているので?シナリオの蓄積は十分なのではないか?(テキトー)
 ※おもしろかった、とさもすべて最終回をみた風を装っているが、まだ、最終回を見ていないものもある。

 『終末トレインどこへいく?』
 7G世界を死後の世界と見ている人もやっぱいるようで、この種の感想は見かけたら、チェックしようと思う。『銀河鉄道の夜』を想起したので、ぼくも、もしかしたら中富葉香はすでに死んでいるのではないか?と当初、思ったりもしたので…ただし、7G世界が死後のそれであるかはどうかは別にして、「死」というものがこの作品におけるテーマのひとつであったと言えると思う。キノコの駅の人たちの短く太く幸せにみたいなスローガンとか、小人の駅の小さな戦争とか、ゾンビとゾンビ爆発(死後のさらに死)とか、アリスたちの消滅とか…、映像そのものが(ぼくはまだ死んだことがないので、これは想像でしかないが…、)死後の世界を思わせるものであるとか、そもそもタイトルにある文言、「終末」が「死」を連想させるものである。
 そして何よりも心の距離の問題として「死」があると思うのだ。
 生者にとって死者との距離は無限大なのか、ゼロ距離なのか?これは静留が葉香と口論になったとき、感じたものであると思う。静留からすると遠くにいかないで…と思い、それがあの口論の原因である。その思いがうまく伝わらないから口論になったと言う方が正確だろう。
 ゼロ距離のお話はどこへいってしまったのか?決して忘れたわけではなく、今から書こうと思っていたところなのだ。たぶん、だれかが死ぬとその人とぼくの心は無限大であり、セロになる。つまり、アポジーとペリジーが重なるのである。とこのところ思っていた。思い出せば、そこに現れる。声も、顔も、在りし日と変わらず、そっくりそのままだ。(とくにこれといった感傷にひたっているわけではない。)
 いきなり、結論めいたところに飛ぶことにするが、静留が口論に至る、ほんの少し前に感じたあの寂しさはきっと人は必ず死ぬことに起因するのだ。

 心の距離と「死」の問題、これはこの作品のテーマのひとつであったと思う。
 ところで、今日もすでに午前0時を過ぎ、文章形式から逸脱したくなってくるわけだが、そうするとしよう。スーちゃんはだれの推しキャラだったのだろう?この矛盾を孕んだキャラは葉香の推しであったのだろうか?「死」に関連する話題として、少々、気になっている。

 ツイッターで水島努さんが、もしくは、作中でスワン仙人が述べていたように一度、変わった世界は元に戻らないし、一度、口にした言葉も残る、というのが本作の重要なメッセージでもあった。世界についてはあの作品世界の変化、つまり、7Gという技術によってもたらされた変化のことを指しているのであろうし、口論後の葉香とポチさん、ポチさん、静留、撫子、玲実、晶との関係性の変化など、ありあらゆるものが絶えず変わっていき、元には戻らないということさしているのだろう。
 が、ぼくはことばのほうが気になるのであった。ことばは実際、口にした次の瞬間に消える。葉香と静留の会話も、そうで、時にことば遊びをしたり、時に口論したりと色々であるが、ともかく、ことばは一旦、消えている。その消えたことばはどこに残っているのかと言えば、葉香と静留の記憶に残っているのだ。だから、この作品ではギンバイカと回想シーンは重要だったと思う。で、やっぱ、ぼくはこの作品のこういうところが好きなんだと思う。(良い意味で)くだらない会話が記憶に残っている。口論だって、静留が口下手で、ちょっと素直じゃなくて、(ほめことばとして)ちょっとおバカだから、ストレートに葉香がいなくなったら寂しい、と言えなかっただけのことから始まったもので、ちょっとしたことばの綾の悪戯で口論に至っただけの本来であれば、日常の会話となんの変りもないはずのものが大事な記憶としてふたりに残っているのである。繰り返すが、くだらない日常の会話がむしろ記憶として残っているところが本作の魅力である、とぼくは思うのだ。ふたりの川辺の会話についても同様なので、以下略にする。
 眠くなってきたので…

 作品全体のメモとして、あとなに書こうと思っていたのだったか…思い出したら、明日でも書こう。
 心の距離
 会話、というかことばの問題

 最終回のメモ
 中富葉香はかなりガチで怒っていた。あの勢いで静留をしばき倒すのでは?と周囲が心配するほどであった点は特筆すべきであろう。加えて、葉香は内心、あのまま静留は威勢のいいおバカなことばかり言いながら、腐っちまえと思っていたのも、おかしかった!ぼくはこういうところで爆笑してしまう。葉香が静留の口真似をする場面なんかは何度も見直すと思う。「無理だよね」のところ。
 あ、思い出した。中富葉香はことばの受け止め方が独特というか、たぶん、これは実はみんなそうであると思うのだけど、中富葉香には静留のことばがあのように聞こえていたということが葉香がそれを模倣することで視聴者であるぼくに葉香の受け止め方が伝わってくるのがかなりおもしろい。ここでいうところのみんな同じというのは、みんなそれぞれに実は独特なことばの受け取り方をしているはずであるということだ。これは作品全体のメモのほうに書こうと思っていたのだ。人間の避けがたい悲しみも、忘れ難い喜びも、それぞれのことばの受け止め方の内にあるということであると思われる。ことばの問題。

 何のメモを書いていたのか。
 あ、最終回の中富葉香の静留の口真似シーンがめちゃくちゃおもしろいと書いたのだった。

 あと、ゾンビの大活躍シーンはよかった。7G世界後、見た目は人間中身はゾンビというのもめちゃくちゃおかしかったけど…こういうのはやっぱおもしろい。どういう理屈でああなったのか、よくわからんけど、おもしろい。
 吾野の人々の獣人化?も。水島努さんによると吾野の住人は「何事もなかったかの様に受け止めている」とツイッターにある。静留のとーちゃんのしゃべり方が元に戻ったのか?急に気になってきた。
 やっぱ、帰り道の旅も見たい。静留のとーちゃんたちがトロッコで帰ったのか?徒歩かはわからんけど、どこかで追い付きそうだし。とーちゃんと静留の吾野柔術コンビの共闘とか見れるのかもしれん。楽しみに待っておこう。

 あと、12話の感想としてはスワン仙人がおしいところもっていったとか、ポンタローは茶碗蒸しヤローだったということはメモとして残しておきたいし、元々カラスの元人間のポチさん(カラス)が東長崎に帰ってゆくところは印象深い。

 あ、もうひとつあった。ゾンビ、小人、ウライズミンたちのもつ社会批評性について、この間、ありがちな大衆批判では「ない」としたのは、とくに玲実のことばが重要だと思うから…たしか、「支配と服従いいよねー」みたいなの。玲実は「支配と服従」のどこよいと思っているのか?また、晶は「退廃と反抗の証」とも言っている。
 静留のことばでは願いと呪いは同じというのもあったので、相反するものは実は同じひとつものであるという見方が可能ということであるかもしれない。というか、ぼくからみると静留と葉香の口論と楽しい会話は、そこでは同じことが起きていると思えるので…たまたま口論になったり、たまたまことば遊びになったりするだけと思えるし、だから会話は楽しい気がする。いつの間にか、ケンカになったり、いつの間にか、笑い話になったりする。イミフすぎる。

 眠い、寝る。

 大事なことを書き忘れた。
 『終末トレインどこへいく?』の会話の特徴
 かのうように性があると思う。
 静留が「そういう人であるかのように」話したりとか。
 言ってみたい台詞のお話とか。(10話)
 本作に関する感想を書く場合、ぼくは会話劇として見た場合の感想を書くことになると思う。
 映像についてなら、変顔も好きだけど。

 
 
 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?