昨日はテキトーに書き流してしまったところがあるので、そのへんの補足も含めた春アニメのメモ

 アニメ『ブルーアーカイブ』について
 原作?と言えばいいのか…ゲームのシナリオが元になっていて、今でも、ゲームのほうはおわっていないのだろう。この作品世界は、詳しいことは知らないわけだが、根っこはかなり殺伐としているのではないか?という印象をもった。たぶん、ひとりは死んでいる。で、その死が作品世界の謎の中核にあるのだろう。繰り返し、自称「おじさん」という女の子の回想に出てくるので、たぶん、この理解はそこまで外れていない。
 で、その殺伐として部分、ダークな部分とあの作品世界に出てくる大人のうすぺっらい感じは調和している。下らない大人がいるということだろう。それが大企業の偉い人?という感じはいかにも現代的で食傷気味な描かれ方ではあるが、でも、まあ、そうだよな…納得してしまうところもある。
 対するこどもたちは天使のわっかみたいなのが頭上にあって、ちょっと『灰羽連盟』っぽい。
 続編に期待してみたくなるのは、もうちょっとこの世界のどす黒い部分が作中でわかってくるとおもしろくなるような気がするので…

 アニメ『時光代理人』について
 かなり、緻密につくられている。ある出来事を起きたときの種明かしを時系列をいじりながら、後から必ずわかるように構成されていて、毎週、ただすごーって思いながらみているのだが、作中の異能にも時系列を操れる人物が出てくるので、ぼくはよく混乱してしまう。まあ、そこに文句を言っても仕方ないので、自分の理解の混乱は何度か見直すなどして対処したい。
 1期からの転調は見事であったと思う。

 アニメ『終末トレインどこへいく?』の会話劇について
 本作の感想を書くとすれば、それは会話劇について書いてみたいと思うので、そのメモ
 ただ、楽しくおしゃべりしていたはずなのにいつの間にか、口論になってしまうのか?という問題、あるいは、まじめなお話をしていたつもりが、いつの間にか、バカ話に転じる問題。
 本作の場合、そういう会話の流れがとてもおもしろい。

 話している相手のことばを受け止めて、そのことばに縛られるところとか。俗にいう売りことばに買いことば。
 眠くなってきた。

 とはいえ、今日は帰ってきてから仮眠をとったはずなのだが…もう眠い。

 ・口論も、楽しいおしゃべりも、そこで起きていることは同じ。
 ・そのことと「かのように」しゃべることの関係。
 このへんをかんがえてみたいないとだめか。
 一般論としてではなく、本作の問題として考えるという意味だが。
 今期、一番、笑いながら見ていたのは『終末トレインどこへいく?』だった。笑いながらというのは感動しながらということでもあるわけだが。

 『響け!ユーフォニアム』12話
 かなり、ツイッターを見ている荒れているのだろうか?
 原作とアニメでソリの選考に変更が加えられたらしい。それで、原作準拠な流れになると思っていた人、あるいは、最後に久美子と麗奈の演奏で有終の美を飾って欲しいと願っていた作品のファンがいるということだろうけれど、だれがどんな感想を持ってもよいとぼくは思っているので…この騒動について言えば、ほぼ関心がない。

 ただ、滝昇が3期でおかしくなったという主張について、今のアニメの流れに批判的な感想を持つ人の主張に肯けない点があることは確か…12話に対して肯定的感想を持つ人の主張でも肯けないことはあるけど…

 3期の滝昇について
 全国メンバーの選考に際し、公開オーディションを提案したのは顧問として無責任という意見についてはちょっと違うんじゃないか?と思う。彼は大事な場面ではいつも部員(生徒)に対して、顧問(教師)として問うてきた。1年間の部の目標を決めるとき、その一年間の部の方針をきめるとき、かれはかならず、生徒に意志の表明を求めてきた。1期の初めから。
 ぼくは1期の斎藤葵退部の引き金となった滝による生徒への問いかけに違和感をもったけど、3期になって、むしろ、彼が生徒に問い続けるのかが少しだけわかった気がする。
 彼は教師として、生徒たちに対し、なにかを選択するときに伴う責任を自覚してもらいたいということなのだと思う。だから彼は秘密投票ではなく、公開投票にこだわるのだろう。
 「空気」に流されたら、その流された責任を持て!
 「空気」に抗ったら、その抗った責任を持て!
 みたいなことを含めて、とにかく、選択することに伴う責任の自覚を持ってほしいという彼の思いをぼくはすこし理解できた。彼が言うところの「生徒の自主性」とはそのことだ。
 彼の考えに対する視聴者の意見に賛否はあってよいとは思うが、3期で突然、心変わりしたとはぼくから見えないとメモに残しておきたい。
 なお、ぼくは1期から滝の考えにはけっこう否定的であるから、滝色に染まっていない部員をなんとなく応援したくなる。3期で言うなら、川島みどり、黒江真由みたいな考えの部員がいることはよかったと思う。
 とはいえ、北宇治実力主義の体現者であると加藤葉月、釜屋つばめのことばは立派とおもったけど。
 あと、たぶん、ツイッターであったと思うけど、滝自身はそれほど実力主義ではないという感想があって、そういう見方はできるかも…とは思った。が、この解釈の路線はその方にお任せする。

 黒江真由が本当はソリを吹きたいのか?あるいは、彼女は自分が嫌な思いをしなければ、コンクールにも出たいし、ソリも吹きたいのか?
 このような問いの答えは「ノー」だと思う。
 黒江真由の過去の苦い思い出から、「イエス」と考える人もいそうだけど、彼女の過去が明かされ、ぼくがはじめにもった疑問は「それでも、なぜ彼女は音楽を続けたのか?」というものだった。彼女くらいの腕があると吹奏楽部に入部すれば、かならずだれかが負け、涙を飲むことになるのでは?と。だれかが嫌な思いをするのが黒江真由自身も嫌と言うのがそもそも無理な相談である。部に入るなら。
 黒江真由のおもしろいところは、どんなにつらい思い出あっても、音楽を続けてきたところにあるでは…と思うのだった。音楽をしている間だけは楽しいということだろう、と思った。
 このへんはやっぱ川島みどりに近い気がする。楽しいことであるから、手抜きができない。で、このふたりは北宇治の実力主義、さらには、高校吹奏楽部の実力主義運営に起因する燃え尽き症候群への批評性をもった人物という理解ができそうな気がする。どうやら、高校を卒業すると音楽を止めてしまう人が吹奏楽部には多いようなのだ。

 3期は黄前久美子が吹奏楽部顧問を目指す過程が描かれたということになるのではないか?これはネタバレではなく、ただの予想だ。
 

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