そんなのインチキといかに謗られようと、ことばで世界をつくり、ことばで世界を壊す人はいるのである。

 アニメ『負けヒロインが多すぎる!』
 小鞠もそういう人だ。文芸部部長、副部長、小鞠、3人の世界が彼女にとって唯一の居心地の良い楽しい場所であっても、そこが失われる可能性をかけて部長に告白したのだ。そんな彼女の部長(未満)文化祭奮闘記が10話で終わった。
 小鞠は二度、同じ人、つまり、部長に振られたと理解しているようだ。ぼくは彼女のことばを尊重したい。「部長はやさしいから」というそんな彼女のことばを尊重したいのだ。ツイッターのほうでは彼女のことばを「抱きしめたい」とノリと勢いでツイートしてしまったのだが…変な誤解を生む恐れのある表現であるため、そのような誤解にあたるような欲望を抱いてはいないという言い訳ということにしておくか。
 そして、二度も同じ人に振られながらも、「部長を好きになってよかった」と彼女は述べた。そんな彼女のことばも抱きしめたい。
 しかし、これも回顧の問題だ。先日も書いたというか、たびたび、この日記にも記している問題だが、結末から逆算する解釈の問題のことだ。時制として完膚なきまでに小鞠が振られた時点から彼女が過去に部長を好きになったときのことを思い出し、そのことを彼女はよかったと述べているのだ。つまり、あのときの愛を振られたからと言って否定はできない。その感情を振られた事実でもって損なうことはできないということだ、とぼくは解したくなるのである。今の小鞠がぬっくんとの文芸部生活を楽しんでいることとは無関係にこのような解釈はできると思う。こういうのは過去の今ということか。

 ※結末から逆算する整合的解釈のほうが特殊な営みである気がしてくるのだった。が、アニメ、小説、ドラマ、漫画、映画ではみんな、この特殊なことのほうを普通のことと思ってやっている。それは作品というものには結末からあるから?ということではおもしろくないと思える。

 ※過去の価値観を現代の価値観で裁く問題とはちょっと違うか。それを言い募ることができるのはせいぜい自分が生きている間に価値観に変化が起きたときのみ?そもそも価値観と自分の関係が間に介在しているのでもっと複雑か?後世の歴史家による審判問題は?

 焼塩、小鞠と順調に確実に振られ続けている。次は八奈見の番か?

 アニメ『小市民シリーズ』
 ぼくから見ると小鳩の推理が真であることを前提に置いた解釈は間違いである…と言いたくなる。が、そのことに関する記述よりも他のメモを優先しよう。

 小佐内は川俣や堂島といったふたりの世界の外部にいる人間を巻き込んでしまったことについては気にかけているようだ。彼女にも常識はあるということだろう。
 それに関連して、小鳩の詰問への反論として「小市民ごっこはふたりではじめたことじゃない?」とやり返さなかった点には感心した。が、彼女自身が復讐を楽しむように小鳩も知恵働きを楽しみ、彼女を難詰しているとやり返している。共犯とは言わないが、それぞれに楽しんでいたとは言っているということか?二人で遊び場をつくりはしたが、楽しみ方はそれぞれでしかなかった。で、それぞれに楽しんでいるうちにこの世界は壊れると彼女はわかっていたのだ。
 彼女は誘拐誘発計画であり、デート計画でもあるスイート巡りを企図した時点でこの決着が彼女には見えていたということである。しかも、おそらくはアニメ放送開始時ですでにこの世界は壊れ始めていたのだ。崩壊開始以後の世界をぼくは見せられていた。にもかかわらず、昨日までこの世界にひびが入り始めたのは何話のどこであるかを探していたのだ。ないものは探しようがないのに。という反省会もひとまず切り上げよう。
 小佐内は小鳩の知恵働きによってあのような結末を迎えると知りながら、計画を立て、リストと地図を渡しのだとしたら、なんとも無常としか言いようがない。
 もう一つ特記事項があった。小佐内は小鳩の知恵働きがこの計画のもっとも大事なところを見逃すことを正確に予見したのか?これはよくわからない。ただ、小鳩は見逃した。それで、別れ際の小佐内のひとこと、「小鳩くんとっスイーツ巡りは楽しかった」につながる。おしゃれコーディネートで出かけて食べ歩いている彼女の楽しそうな姿を小鳩は誤解しているのだ。下らん知恵働きが彼の目を曇らせ、彼女が普通の子でもあることが見えていない。
 とすると、やはり、この別れ際のひとことは余計であったが気する。知恵働きで肝心なところが見えなくなった男には過ぎた優しさである。が、これも実は前振りがあった。密室劇の回で小佐内は小鳩が仕掛けた謎に彼女が気づけなかったら、小鳩は彼女にヒントをくれると話していた。なんのことはない。あのことばは彼女について語っていたのである。
 

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