夏アニメのメモなど、『PSYCHO-PASS』2期における自我問題と他我問題

 夏アニメは『しかのこたんたんこしたんたん』だけ一旦、視聴を中断している。おもしろくないからというよりも、一度、見るのを忘れたので、そのままになっているのだった。
 ただたんにnoteにメモをのこすことを忘れているだけということもある。また、ツイッターと内容の重複があるのかもしれないが、ぼく自身はかりに重複していたとしても、とくになにも困ることがないため、このへんに転がっているメモを確かめなら、こっちにもメモを残しておこう。
 なにから書き始めよう。

 『ニーアオートマタ』は明らかに時系列をいじっている。
 リリィとローズとA2のエピソードの補完があったりして、以前の内容を完全には覚えていないとやや理解がおいつかないなど、あるいは、2Bの正体が2Eであることについては前振りすらあったのかがわからず、新情報として驚けばいいのかもわからないし、なにに驚けばいいのかも、実はわからない。1期の最初のエピソードが9S と2B の心中モノであったはずだが、真相は2Bによる9S殺しということでいいのだろうか?ただ、その殺しがいつ行われたのかものであるのかはわからない。殺された理由はおそらく9Sがこの世界の真相(人類がすでに滅亡していること←ネタバレである)に気づいたので消されたということなのだと思うが…2Bのほうが最近の展開では死んでいて、A2にバトンタッチしたようなので、なぜこの時点で9Sは生き残っているのか。たぶん、最終回ですべてがつながる構成になっているのだろうから、ボケーと見続ければいいのか?
 あと9Sは2Bが死んだことで気が狂うみたいなネタバレを以前に食らった記憶があるのだが…次回あたりでそうなるのか?しかし、2Bがどのタイミングで死ぬというネタバレは食らっていなかったので意外だった。死の予兆などなくまったくなかったうえに、彼女が生きている時制まで戻って何度も繰り返す狂気みたいなのではなさげ。もしそうならA2が登場してきた意味がなくなる気がする。
 彼は彼女とただ一緒に居たいから、その一緒にいることができる場所が戦場しかないから、それだけの理由ためだけに人類滅亡後も無意味な戦いと知りつつ、それでも機械兵と戦い続けるお話とおもっていたので、随分と大きく予想を外したようである。彼女がこの世界から消えても、彼がこの世界で戦い続ける理由とは?あ、これが新たなぼくの関心か。

 『菜なれ花なれ』
 『白い砂のアクアトープ』も好きだったので、おもしろい。百合度が少し足りない気がしないでもない。
 ただ、社会問題としての地方都市の衰退のようなものは本作でも扱っていて、これは本当に今の日本の問題であるのだろう。現実にぶち当たって、そううまくいくこともないという展開になるのか?レコード屋のお話について。

 『真夜中ぱんチ』
 吸血鬼設定が生かされた4話だった。人間と吸血鬼の寿命の差。今後も、吸血鬼であることあることがいかされるのか。それほどでもないのか。youtuberと呼ばれる人たちについてはぼくは知らないことばかりなので、とても勉強になる。自分が何者であるか問題についてぼくが悩んだことがないのはぼくにははじめから目標が明確にあったということでは無論、ないわけだが、今の若者の苦悩は新たな技術によって生まれた問題な気もする。自分が何者であるかという問題が身近になったのだと思う。はっきり言ってしまうと、ぼくは自分が何ものであるかがいまだによくわからないし、それでとくに困ってもいないのだ。

 『小市民シリーズ』
 主人公の小鳩が非凡な「知恵働き」ができる自分のことを特別な存在として思っていて、であるがゆえに凡庸ないち「小市民」を演じて、悦に入ってるキモイやつというのは違うと思う。非凡/凡庸とか、特別/普通とかいう対比には大した意味がなさそう。どっちも演技のように見えるところがおもしろいだから。演技だから本物/偽物みたいなテーマかもとは少し思ったけど、たぶん、これも違う。
 小鳩と小佐内の小市民劇場はこのふたりが「小市民」を演じることでふたり世界をつくっているというところが重要なのだと思う。ことばで、対話で世界をつくっていくということ。そして、そのふたりの世界の観測者として堂島健吾がいる。観客として振舞ってくれるのは彼だけなのかも?そういう彼こそが友達と呼ぶにふさわしい。すごく嫌な性格した奴のイミフなことに付き合ってくれてる。なぜこんなくそやろーと友達なのかが自分でもわからんというのが友達だろう。
 『終末トレインどこへいく?』における会話もそういうものであったのかも?とくに中富葉香のことばは世界を見たままに語っている感あったので、彼女が語ると世界がまるでそうであるかのような感じがすごかったけど。あと、友達というものの描き方としても、それぞれの登場人物に人間としての欠陥があるところもよかった。嫌な奴でも、友達なら友達なんだよって感じ。
 声優さんによる声の演技なのか?
 それとも、
 登場人物による演技なのか?
 これらを峻別することは可能なのか?

 『PSYCHO-PASS』2期について
 やっぱ、鹿矛囲桐斗が彼の色をシビュラシステムに問うと当初の彼が持っていた問いは変質したと思う。自我問題から他我問題になった、と。物語的にはシビュラシステムによって彼は認識され、色相判定された結果、殺処分されるに至り、それで彼も満足したということで決着がついたとみることができるかもしれないが、それでも、彼の初源の問いである疎外の問題はそっくりそのまま残った。他我問題としての解決では自我問題は解決しないということ。あるいは、本作は初めから他我問題だけをやろうとしていたのか?とは言いえきれない気がする。この世界がその(自我問題の)痕跡を消しきれていないということなのか。
 が、1期でも似たような結末ではあった。
 狡噛がシビュラシステムの判断に反するような形で、つまり、私怨による復讐として槙島を殺したので、シビュラシステムの判断の正当性に対する疑義の問題はそっくりそのまま残った。
 とすると、まだ、そこまで理解をすすめていないのだが、3期はそれらふたつの問題の積み残しに対する解答になっているのかも?
 ただ、ややこしいため整理が必要そうなのが、シビュラシステムは法ではないという点で、シビュラシステムは成長する、すなわち、流動性がある。判断がブレるということもありうる。で、それだけにあの社会では法の安定性が重要であるという論点。
 

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