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満月の夜に想う(3)

5月23日の夜、空には美しい満月が輝いている。

昼間は、真夏のような太陽に照らされて、その暑さに戸惑う気持ちもいつの間にか薄れ、このところは四季の移ろいを感じることに半ば諦めの心持ちである。

それでも、この時期の夜は、まだ過ごしやすく気持ち良く月の美しさを味わうことができる。そして、相変わらずあの人を思い浮かべる。

もしかしたら、あの人もこの月を見ているかもしれない…いえいえ、そんなことはあるはずもない。ただ、そんな気持ちになるだけで、今でも心臓の鼓動に変化が生まれる。

何を今さら…いつまで感傷に浸っているのか、と思われるだろう。

ただ、感傷に浸っていない、というと嘘になってしまうが、前向きな感傷とでも言うのか、決して未練がましくあの人のことを思っているのではない。

勿論、今でもお会いできるのであればお会いしたいし、お話しもしてみたい。でも、私の心に残る思いは、時間が経った今でも[感謝]の気持ちなのである。

最近、私は未来に向かって、今までとは違う世界への期待や希望を持つことができていた。これは、私にとって画期的なことで、とてもありがたく、嬉しいことであった。

しかしながら、ちょっとした物事のズレからか、その希望は霞に覆われて見えなくなってしまった。今は心に元気がなく珍しくストレスを感じる日々が続いている。これは、相変わらず右膝の具合が悪いことも影響しているのだろう。結果、体調まで崩してしまった。

こんな時、人間は弱いもので、つい誰かに話を聞いてもらいたい、傍に寄り添ってほしい…と思ってしまう。そんな時、思い浮かぶのは、やはりあの人なのである。

思えば、そんな時に思い浮かべる人がいること自体、とでも幸せであり、喜びとありがたさを感じる。しかも、思い浮かべるだけで心が落ち着き、少し安心するのである。

こんな形で、私の心には今もあの人が宿り、私に幸せを与えてくれる。

だから、今日も[ありがとう]の気持ちなのである。

昨晩の夜空は雲が多く、月の光が雲に反射していた。朧げな月の光を見ながら、雲の切間から満月が現れるのをしばし待っていた。

希望や期待が閉ざされた時の心の弱さ…思えば、そうならないために、ここ数十年間、希望や期待感をあまり持たず、心を平静に保つことを意識していた。

このことは、義務と責任感で仕事をしてきた、ある意味自分を制御して生きてきたことと重なる。

第二の人生では、もっと自由に思うがままに、心のバイアスを取り払って生きていきたい、と思う。その意味では、期待や希望を素直に喜びを持って感じること自体は、良いことなのだろう。

ただ、そうでなかった時の対処法は持ち合わせていたい。本音で話せる人…と、いつになったらジョギングを再開できるのだろうか?

さて、そろそろ、戯言はこのくらいにして…

今日もあなたの幸せを祈ります。

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