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【YouTube版】日本赤十字の創設者・佐野常民 ~「右手で文明開化、左手で博愛」

 前半生は文明開化、後半生は博愛で、幕末・明治の日本を牽引した佐野常民の生き様。

■1.「なに、官軍だけではなく、賊軍も救うというのか」

 佐野常民(つねたみ)が「博愛社」(後の日本赤十字)の設立を「いまこそ」と決心したのは、明治10(1877)年3月のことでした。おりしも西南の役が勃発して、多くの兵が負傷しました。大坂の鎮台病院にも、戦地熊本から移送されてきた負傷者千五百名あまりが、治療を受けていました。

 その負傷者たちを、関西地方ご視察中の明治天皇がお見舞いになったのです。24歳の青年天皇は、血のりの匂いと薬品の匂いとが入り交じったベッドの間をおまわりになり、一人一人にお言葉をかけられました。皇太后と皇后も、お手製の包帯を負傷者に賜りました。この報道に全国民が感動した際に、この機を逃してはならないと、常民は決心したのです。

 常民は4月6日、「博愛社」設立の嘆願書を政府に差し出しました。「博愛」には、欧米の赤十字と同様、戦地で敵味方の区別なく救護するという精神を込めていました。ところが、「これは、いかん。賊兵まで救うとは何ごとだ。政府の命令に背いた賊兵を救うなどと……、それは、政府の命令に背くのと同じことだ」と担当官から怒鳴られてしまいました。

【続きは本編でご覧ください】


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