JOG(15) Quantitative Analysis ~中学生が南京事件の犠牲者数を定量的に分析してみた
南京事件犠牲者数の定量データを分析すれば、中学生でも嘘が見破れる。
■1.Quantitative Analysis: 定量的分析■
本誌第6号では、Fact Finding(事実究明)と Logical Thinking(論理的思考)の重要性を取り上げたが[a]、特に先入観を打破して真実を明らかにするには、定量的事実検証が効果的である。
たとえば、最近、歴史学の分野でも定量的な研究が進み、次のような興味深いデータが紹介されている。
・明治日本は「富国強兵」をスローガンとして、軍事力増強に邁進したように教えられているが、実は日清戦争前の1888-92年の軍事費(恩給・年金を含む)の対GNP比率は2.3%であり、これは平和憲法下の1954-56年の2.7%より小さい。[1, p163]
明治日本の発展は、小さな政府と民間活力発揮という自由主義政策によるものである。
・日本の植民地統治は過酷だったと言われているが、植民地人口一人あたりの政府支出で見ると、
日本領 9円46銭 イギリス領:4円66銭、オランダ領:4円19銭 ドイツ領:3円61銭 ポルトガル領:2円89銭 フランス領:2円54銭
となっている[1, p167]。戦後の朝鮮、台湾の発展とフランス領だったアフリカ諸国の停滞との際だった対照も、投資水準の差に由来する。
■2.太郎と花子の疑問■
こうした定量的検証の練習に格好のテーマがある。1937(昭和12)年の12月、日本軍は中華民国の首都南京を攻略した。中国政府は現在、南京大屠殺記念館を作り、ここで30万人が虐殺されたと主張している。良い機会なので、この30万という数字を、太郎と花子の二人の中学生に検証してもらおう。
二人が学んだ教科書には、南京事件は以下のように記述されていた。
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「日本軍はシャンハイや首都ナンキンを占領し、多数の中国民衆の生命をうばい、生活を破壊した。ナンキン占領のさい、日本軍は、捕虜や武器を捨てた兵士、子ども、女性などをふくむ住民を大量に殺害し、略奪や暴行を行った。(ナンキン虐殺事件)。(注)この事件の犠牲者は二十万人といわれているが、中国では戦死者と合わせて三十万人以上としている。」[2]
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犠牲者数が二十万人とか、三十万人とか、大きな食い違いが出ているのを疑問に思った二人は、歴史の先生から、中国側の主張が東京裁判で検察側証拠として出された資料に基づいていることを知り、それについて自分たちなりに定量的な検証を始めた。
■3.日当たり埋葬者数データのグラフ化■
東京裁判の資料では、合計26万余の犠牲者があったとして、いくつかの証拠を提出している。まずその最大のものは、南京市崇善堂という慈善団体が犠牲者112,266体の埋葬を行ったという資料である。その詳細数値が4つの埋葬隊毎、および期間毎に出ていたので、これを各隊一日平均埋葬数としてグラフにしてみると以下のようになった。[3]
■4.後から無理矢理追加したような、、、■
太郎 事件直後の12月は日当たり100体以上埋葬している隊もありますが、あとはずっと10~30体程度です。四月の分だけ「城外」と別扱いになり、いきなり1000から3000近くにもなっています。また記載の方法も、城内の部分では、隊名と埋葬場所がちゃんとありますが、最後の城外の方は、それがなくて、書き方が変わっています。
日本軍が南京を攻撃したのが12月だから、この埋葬隊は事件後4ヶ月間は日当たり数十体を埋葬し、5ヶ月目に城外に出て、突然毎日数千という遺体処理をしたことになります。
花子 なんだか、ここだけ後から無理矢理追加したような感じですね。同じ埋葬隊でこんなに処理能力が違うということがありうるのかしら?
太郎 弁護側の指摘でも、これらの地域では日中両軍とも戦死者が続出したので、死体は虐殺とは言えない事、それに日本軍がすでに清掃をした後、さらに5ヶ月経って、こんなに多数の死体が残されているはずがない、との事です。
花子と太郎が疑った4月の数値を除けば、崇善堂全体の処理数112,266体は、7,548体となってしまう。
■5.目撃者への疑問■
次に多いのは、魯甦という人が目撃したという5万7千余という数字である。書面で提出された証言は次のようなものである。[3]
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敵(日本)軍入城後、まさに退却せんとする国軍、および難民男女老若合計五万七千四十八人を幕府山付近の四、五ヶ村に閉じ込め、飲食を断絶す。凍餓し死亡する者すこぶる多し。一九三七年十二月十六日の夜間に至り、生き残れる者は鉄線をもって二人を一つに縛り四列に並ばしめ、下関・草鞋峡に追いやる。
しかる後、機銃をもってことごとく掃射し、さらにまた、銃剣にて乱刺し、最後には石油をかけて焼けり。焼却後の残屍はことごとく揚子江中に投入せり。
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これに関して、二人は次のような疑問を抱いた。
花子 まず最も単純な誤りは、こうして殺されたという人の数を、先ほどの崇善堂などが埋葬した数に足している事です。同じ人が殺されて埋葬されたら、二人となります。これって完全なダブルカウントですよね。
証言の内容も、だいたい、村の数さえ四、五ヶ村とはっきり数えられないのに、なぜ五万七千四十八人と一人の位まで正確な人数を言えるのでしょう。
さらに飢えさせ、凍えさせ、鉄線で縛り、機銃掃射し、銃剣で刺し、石油をかけて殺すなんて、まるで映画を見ているようですが、どうして証言者だけカメラマンのようにずっと安全に光景を眺めていられたのでしょうか。まさか透明人間だった訳ではないでしょう。
太郎 弁護側は、これらは陳述書のみで、法廷でこういう疑わしい証言をする人を呼び出し、反対尋問をする機会が与えられなかった、と言っています。
アメリカ人の弁護人も、「本人を出廷せしめて、直接反対尋問することは、(英語を話す国民においては)常識である」と批判しています。それが出来なければ「見たこともない、聞いたこともない、またどこにいるかも分からない人間の証言を使って審理することになる」というのです。
東京裁判とはまさにこういう非常識な証言を非常識な方法で積み上げて、判決を下したものだと、僕は知りました。残りの数値もすべて同様で、単にどこにいるかも分からない人が、何人埋葬した、と言っている証言だけです。
■6.真実を究明する学問的姿勢■
という次第で、中学生にも見破られる資料を東京裁判に持ち出した中国側の豪快さもさすがであるが、こういう数値を中学校教科書にまで載せているのは、正しく歴史学者の怠慢でなければ、意図的な詐術である。
以上の例で、ごく簡単なQuantitative Analysis でも、専門家のウソや誤りを見破れる例を示した。最後に南京事件について、行われた最も学問的な定量的調査を御紹介しておこう。[4]
事件当時、南京の金陵大学社会学科教授であったルイス・S・C・スミス博士は、難民安全区を管理する国際委員会の書記長と、会計係を兼務した人物である。このスミス博士が3月から4月にかけて、多数の学生を動員し、50戸に一戸を抽出して訪問調査させ、その被害者数を50倍して、総数を推定した。これは今日の社会学でもよく行われる調査方法である。
その結果は、軍事行動による死者850名、兵士の暴行による死者2,400名、その他拉致された行方不明者4,200人となっている。これらの中には日本軍の戦争犯罪による被害者もあったが、中国軍の敗残兵が、民間人を殺し、服を奪って難民区に逃げ込んだ、さらに、その逃亡兵検挙時に巻き添えになった、という形での民間人犠牲者が含まれている。
ちなみに、南京と同様に日本軍に占領された上海では、なんらこうした事件は起こっておらず、逆に難民区管理委員会委員長のフランス人神父から、日本軍の行った食料援助を感謝されている。中国軍が上海でのように正式な降伏開城措置をとっていれば、民間人を巻き添えにするような混乱は防げたはずである。
いずれにせよ、このような客観的調査を行ったスミス博士や東京裁判で中国側の証拠を批判したアメリカ人弁護士達の姿勢は、真実を追究するための姿勢がどのようなものであるかを、如実に示している。これからの国際派日本人は、こうした人々こそ、お手本として見習って欲しい。
[参考]
1. 自由主義史観とは何か、藤岡信勝、PHP文庫 (南京事件に触れた章もあり、一般向けに書かれた手頃な本)
2. 中学校歴史教科書、教育出版、250頁
3. 日中戦争南京大虐殺事件資料集,洞富雄,青木書店
4. 南京事件の総括、田中正明、謙光社
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