JOG(683) 求道者・白鵬
神事としての相撲の伝統につらなり、一途に相撲道を歩む大横綱。
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■1.「勝ちにいってしまった」
昨年(2011年)11月の九州場所で、白鵬の連勝は63でストップし、双葉山の持つ歴代1位の69連勝には届かなかった。稀勢の里に寄り切られ、土俵の下に倒れ込んだ白鵬は、少し首をひねって、照れたような笑いを浮かべた。大記録を逃して、さぞや無念だったろうと思いきや、その余裕ある表情が意外だった。その後のテレビのインタビューではこう語った。
「こんなもんじゃないかな」というのは、自ら目指している双葉山に比べれば今の実力はまだまだ、というほどの意味であろう。「勝ちに行った」ことを反省しているのは、双葉山のDVDから次のようなことを学んでいたからである。
連勝記録という数字よりも、相撲の内容、そしてそれに取り組む心構えを追い求める白鵬の姿勢は、まさに相撲道の求道者と言うにふさわしい。
■2.「いまだ木鶏(もっけい)たりえず」
「勝ちに行かない」ということは、無心に、相撲の「流れ」にしたがって体が自然に動くに任せる、ということである。白鵬は座禅を組むことで、勝ち負けにこだわらない「無」の境地に近づいたという。
双葉山の連勝が69で止まったとき、思想家の安岡正篤(まさひろ)氏[a]に「いまだ木鶏(もっけい)たりえず」という電報を打った。
これは『荘子』などの中国の古典に出てくる話である。昔、闘鶏飼いの名人が、ある王から一羽の闘鶏の調教を依頼された。10日ほどたって、王から「鶏はもう使えるか」と訪ねられると、「空威張りの最中でいけません」と答えた。
さらに10日経っても、「まだダメです。敵の声や姿に興奮します」。また10日経っても「まだまだダメです。敵を見ると『何をコイツが』と見下すところがあります」。それから10日経って、ようやく闘鶏として使えるという答えが返ってきた。
双葉山は、この「木でつくった鶏」のように動じない無心の境地を目指した。白鵬もその双葉山の辿った道を歩んでいる。
■3.土俵上のガッツポーズはなぜいけないのか
心の有り様を重んずる白鵬の姿勢は、同じモンゴル出身の朝青龍と比べるとさらにはっきりする。平成21(2009)年9月場所千秋楽で、白鵬との優勝決定戦に勝って、24度目の優勝を達成した朝青龍は、観客席に向かって派手なガッツポーズをした。
これについては、横綱審議会でも意見が分かれたが、白鵬はこう述べている。
武士の戦いに例えれば、相手を倒した後、その冥福を祈って手を合わせる武士と、倒れた相手の事など一顧だにせず勝ちどきをあげる武士と、どちらが本物か、ということである。
■4.土俵は「神の降りる場所」
また白鵬は、大相撲が「神事」であるからこそ、力士にとって品格が必要であるとして、こう説いている。
まず土俵は俵で円く囲ってあるが、そこは「神の降りる場所」である。大相撲の場所の前日には、土俵の真ん中に日本酒、米、塩などを奉じ、相撲の神様をお招きするための「土俵祭」を行う。
土俵上で力士が四股を踏むのは、土の中にいる魔物を踏みつぶす所作であり、取組前に塩をまくのは、土俵に穢れを入れないためと、己の穢れをはらい、安全を祈るためである。
相撲の神様の前では、各力士は心の穢れも落として、無心に美しい相撲をとらねばならないのである。
■5.横綱の責任
こういう相撲道のあり方、神事としての神聖さを弁えない力士、親方が増えたからであろう。近年、相撲界に不祥事が相継いだ。
平成19(2007)年6月、同年春に時津風部屋に入門した17歳の少年が、集団暴行を受け、死亡した事件が発生。平成20(2008)年8月には、3人のロシア出身の力士が大麻を吸っていた疑いで、解雇処分となった。
平成22(2010)年1月には、朝青龍が泥酔して一般人に暴行を加え、その責任を取る形で突然の引退を余儀なくされた。
そしてこの年6月、暴力団を胴元とする野球賭博に関与したとして、大関琴光喜と大嶽親方が解雇され、多くの力士、親方が謹慎処分に処せられた。
7月10日からの名古屋場所はなんとか開催されることになったが、白鵬は出稽古さえもできず、心に大きなヒビが入った状態で、これではとても満足な相撲がとれないと悟って、休場を考えた。
■6.「相撲を守ってくれ!」
名古屋場所が始まった。チケットのキャンセルが相次ぎ、初日なのに空席が目立って、「満員御礼」が出なかった。
土俵入りの最中、観客席から「相撲を守ってくれ!」というかけ声が白鵬の耳に入ってきた。守るための方法は分からなかったが、とにかく連勝を続けることを考えた。
場所が進むにつれて、客足も戻り、7日目には初めて「満員御礼」の垂れ幕が下がった。白鵬は、土俵下で控えに座っているときから、なんともいえない感慨と有り難いなという気持ちを抱いた。
マスコミもやがて、野球賭博だけでなく、大鵬親方の持つ歴代3位の連勝記録45を抜き去るのかどうか、という話題を報道するようになっていった。
結局、名古屋場所で白鵬は全勝優勝を果たした。連勝記録も47に伸ばし、大鵬親方を抜いて、昭和以降で単独3位となった。危機に陥った角界を一人で支えた白鵬に、「白鵬、最高!」という暖かい声援が向けられた。
■7.陛下からのお励まし
しかし表彰式で土俵にあがって、優勝旗を受け取る白鵬は涙顔だった。「国歌が終わり、土俵を見たら、いつもなら置いてある天皇賜杯がなく、さびしくて自然に(涙が)出た」と後で語っている。
土俵下のインタビューでも、「この国の横綱として、力士の代表として、賜杯だけはいただきたかった」と声を震わせた。相撲が国技であり、神事であるならば、その優勝力士に与えられる栄誉は、天皇陛下からの賜杯をおいてない。それをいただけなかった無念さが、涙となった。
その無念さに、陛下は応えられた。陛下のねぎらいとお祝いのお言葉が、侍従長からの書簡として届けられたのである。次のような内容だった。
宮内庁によれば、陛下の祝意を力士に書簡で伝達するのは初めての事である。側近の1人は、今回の書簡は天皇陛下御自身の御発案だと明かし、「大相撲を長年、大切に考えてきた陛下は、野球賭博をめぐる問題を大変心配されていた。そうしたなかでの白鵬の頑張りに対し、何とかお気持ちを伝えたいと思われたのだと思う」と語った。陛下のお言葉に、白鵬は感じ入った。
■8.モンゴルの大横綱と日本の大横綱
言うまでもなく白鵬は、モンゴル生まれのモンゴル人であるが、その白鵬が、これほどまでに相撲の伝統に思いをいたし、それを支えようと頑張っている姿には、日本国民の一人として、ただただ感謝と敬意を表するのみである。
日本人を親として、日本に生まれれば、自動的に日本人になるわけではない。日本に生まれながら、日本の歴史伝統を理解しようともせず、さらには言われも無き悪罵を投げつける輩もいる。
日本人とは、生国や血筋には関係なく、日本の伝統を、その一端なりとも我が身に背負っていこうと努力している人々、と定義すれば、白鵬こそ真の日本人と言えよう。
ここで忘れてはならない事は、このような白鵬を育てた父親の存在だ。父親はモンゴル相撲の大横綱だったが、白鵬が横綱に昇進した際に、こうアドバイスした。
モンゴルの大横綱も日本の大横綱も、その本質においては変わるところはない。同様に、真の日本人は他国の人々からも理解され、尊敬されるだろう。それこそが国際派日本人と言える。
(文責:伊勢雅臣)
■リンク■
a.
b. JOG(616) 求道者イチローの原動力
■参考■(お勧め度、★★★★:必読~★:専門家向け)
1. 白鵬翔『相撲よ!』★★★、角川書店、H22
■「求道者・白鵬」に寄せられたおたより
■編集長・伊勢雅臣より
相撲道が白鵬の「人徳」を作ったのでしょう。
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