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人物探訪

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さまざまな分野で我が国と国際社会に貢献した人物を紹介しています。 (人名50音順)
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#昭和天皇

JOG(909) 天皇陛下の執刀医、天野篤の「医師道」

なんとしても患者を救うという使命感と報恩の心が「医師道」の原動力。 過去号閲覧: https://note.com/jog_jp/n/ndeec0de23251 無料メール受信:https://1lejend.com/stepmail/kd.php?no=172776 ■1.「天皇陛下がご健康になれば、国民も喜ぶ。みんなが元気になる」  近年の医学の発達ぶりには驚かされる。78歳の天皇陛下が心臓手術を受けられたのが平成24(2012)年2月18日。3月4日に退院された陛

JOG(851) 昭和天皇と御召艦艦長・漢那憲和

御召艦艦長として裕仁皇太子を先導する漢那憲和の姿に、郷里・沖縄の人々は感激の涙を流した。 過去号閲覧: https://note.com/jog_jp/n/ndeec0de23251 無料メール受信:https://1lejend.com/stepmail/kd.php?no=172776 ■1.大和世(ヤマトユー) 「大和世(ヤマトユー)は、支那世(シナユー)とは違います。今からはどんなことがあっても、憲和を中学へ入れます」  小学校高等科に進んだ漢那憲和(かんなけ

JOG(1016) 香淳皇后 ~ 昭和天皇を支えたエンプレス・スマイル

「戦中、戦後にかけて陛下のご心痛をおそばで見ているのはつらい思いでした」 過去号閲覧: https://note.com/jog_jp/n/ndeec0de23251 無料メール受信:https://1lejend.com/stepmail/kd.php?no=172776 ■1.「エンプレス・スマイル」  昭和46(1971)年9月、昭和天皇と香淳(こうじゅん)皇后は欧州7カ国を訪問された。70歳になられていた天皇にとっては、大正10(1921)年の皇太子時代の欧州御

JOG(655) 杉浦重剛 ~ 昭和天皇の師

無名の一私立中学校長が皇太子時代の昭和天皇の師に抜擢された。 過去号閲覧: https://note.com/jog_jp/n/ndeec0de23251 無料メール受信:https://1lejend.com/stepmail/kd.php?no=172776 ■1.無名の一私立中学校長  大正3(1914)年春、皇太子時代の昭和天皇が学習院初等科を卒業され、将来の天皇としてお育て申し上げるために東宮御学問所が設立された。歴史、地理、国漢文、数学、フランス語などは、当

JOG(1130) 田中清玄 ~ 「根源」に生きる

戦前の共産党委員長から、母の諌死を機に皇室護持に生きた人。 過去号閲覧: https://note.com/jog_jp/n/ndeec0de23251 無料メール受信:https://1lejend.com/stepmail/kd.php?no=172776 ■1.暗闇に浮かび上がった母の顔  トンネルを抜けて出口に近づいたところで、突然暗闇の中から、母の顔が浮かび上がった。 昭和5(1930)年2月5日、和歌山市郊外の和歌浦で、田中清玄(きよはる、せいげん)は共産

JOG(792) 昭和天皇をお育てした乃木大将

 昭和天皇:「私の人格形成に最も影響のあったのは乃木希典学習院長であった」 過去号閲覧: https://note.com/jog_jp/n/ndeec0de23251 無料メール受信:https://1lejend.com/stepmail/kd.php?no=172776 ■1.「孫達の教育を託するには乃木が最も適任と考える」  日露戦争後、陸軍の大御所・山県有朋は、乃木の才幹と大功から、参謀総長に栄転させようと明治天皇に内奏したが、天皇は日を改めて、山県にこう言わ

JOG(407) 米内光政(上) ~日独伊三国同盟の阻止

日本を三国同盟という戦争へのバスに乗せてはならない、と海相・米内は戦った。 過去号閲覧: https://note.com/jog_jp/n/ndeec0de23251 無料メール受信:https://1lejend.com/stepmail/kd.php?no=172776 ■1.「金魚大臣」■  昭和12(1937)年2月2日、米内光政・連合艦隊司令長官は銑十郎内閣の海軍大臣に任命された。身長180センチ近く、色白で体格も姿勢も良い米内は、見かけ倒しの「金魚大臣」と

JOG(408) 米内光政(下)~ 終戦への道

昭和天皇の平和への意思を体して、米内は立ち上がった。 前号より続きます。 過去号閲覧: https://note.com/jog_jp/n/ndeec0de23251 無料メール受信:https://1lejend.com/stepmail/kd.php?no=172776 ■1.「士は己を知る者のために死す」■  昭和15(1940)年1月14日夕刻、至急、宮中に参内するように電話があった。米内が急いで駆けつけると、憂いに満ちた表情の昭和天皇から「卿に後継内閣の組閣