JOG(154) キリシタン宣教師の野望
キリシタン宣教師達は、日本やシナをスペインの植民地とすることを、神への奉仕と考えた。
■1.「立ち帰った」キリシタンたち■
寛永14(1637)年10月、島原有馬村の二人の百姓が、天草へ行き、そこで「天の使」として布教を始めた益田四郎という16歳の少年(天草四郎)に帰依して、キリシタンが礼拝する絵像を持ち帰り、村人を集めて布教を始めた。
四郎は習わぬのに文字を読み、キリシタンの講釈を行い、また海上を歩いて見せたという。そして、次のような檄文が流布されていた。
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