ジャスラックが音楽教室からの著作権料徴収を始める件について

ジャスラックが音楽教室からの著作権料徴収を始める件について

(著作権全般についての僕の意見を多く含みます)

この件についての論点

① 権利者の権利がしっかり保護されているか、その期間は適切か。

② 音楽教室での演奏に対して著作権料を徴収すべきか、その方法は。

③ ジャスラックの運営は適切に為されているか。

まず①についてですが、僕は勿論権利者の権利は適切に保護されるべきと考えています。しかし、一方で「権利者の権利を過剰に設定する傾向」については疑問を持っています。

日本では著作権保護期間は死後50年となっていますが、アメリカなどは死後70年となっていて、世界的には保護期間が延長される方向になっています。

トランプ大統領になってTPP交渉がストップしたようですが、これが発効したら日本も70年になるかもしれません(メキシコが100年なのでもしかしたらこの機会とばかりに一番長い国にあわせるかも)。

僕は「死後何十年も保護するのは、やりすぎ」という意見を持っています。音楽などの無形知的財産は生み出された瞬間に「人類の財産」になります。ただし、他者が不当にその財産を使って利益を上げてしまわないように保護する必要があるのです。

その保護期間は「生み出されてから30年」程度が適切なのではないかと僕は考えています。30年が、20年がいいか50年がいいかは議論が必要かなと思いますが「死後○年」と規定するよりは「生み出されてから○年」とすべき、ということと、相対的に今よりは保護期間を短くすべき、僕は思います。

何故保護しすぎは駄目なのかというと「保護しすぎるとその分野の発展が阻害される」からです。権利の保護を無視して、全体の発展だけを考えれば、じつは著作権保護期間は無いほうが、その分野は発展します。

現代のネット世界は無法状態に近いものですが、例えばPPAPが世界的に話題になったらあっというまに数多のパロディが作られ発表されています。なかには権利者が本来得るべき利益をかすめとって不当に稼いでいる者もおそらくいるでしょう。ここではそれらの是非については論じませんが、保護されないほうがその分野は発展する、というのは確かにあることなのです。

一方、死後何十年も権利が保護されるというのはどういうことかというと、その作品を生み出してもいない単なる相続者が、全体の発展を阻害しながら恩恵を受け続ける、ということでもあるのです。

つまり適切な保護期間というのは、全体の発展と権利者の権利保護との、両方を考え、そのバランスの元に設定されるべき、というのが僕の意見だということです。現在の保護期間延長傾向は西洋的価値観の産物だと思いますが、あきらかにいきすぎであり、既得権者が利益を延長したくてその方向に向かっているという疑問も大いにあります。

続いて②について考えます。シンプルに考えるなら、僕は当然、音楽教室における演奏についても「生徒は」著作権料の負担をすべき、と思います。他者の権利物を演奏するというのはどういうことかを生徒はしっかり理解するべきです。クラシックやトラディショナル、あるいはオリジナルしかやらない、という場合は当然負担する必要はないと思います。

しかし問題になるのは「現実的な徴収方法」です。通信カラオケでしたら1曲ごとに何回使われたかの把握は可能です。しかし「音楽教室における演奏」回数ってどうやって把握するのか、実質不可能でしょう。③とも関わってきますが、ジャスラックはおそらく音楽教室に対して「包括契約」を迫ります。包括契約の場合「オリジナルとクラシックがほとんどで、著作権かかる曲は少ししかやりません」という人と「著作権料かかる曲ばかりやる人」と、しっかり区別できないので結果として不公平になります。

有料コンサートの場合は演奏曲をジャスラックに報告して著作権料がかかる曲の分だけ払います(その作業もかなりの手間ですが、払った料金がそのまましっかり権利者に払われているかというとそうではないところが③に話が繋がります)。実質的には、練習に課金するのではなく、それが実際に有料コンサートで演奏されたときに支払う、という現行どおりで良いのではないでしょうか?

上記で、「生徒は著作権料の負担をすべき」と書きましたが、負担すべきは教室側なのでは、というテーマもあります。教室側が積極的に「いま流行ってる曲を教えます」というスタンスであるなら、それによって利益を得ようとしている訳ですから、教室側が負担すべきというのは正論になります。

僕の考えは「著作権保護期間を現行より短くして、トラディショナルになった楽曲を中心に教室での練習曲とし、著作権がかかる楽曲を習いたい場合は生徒自身が著作権使用手続きをして特別に指導を受ける」というような状態にするのが良いのではないかと思っています(もしくは市販の楽譜を買うことでその手続きのかわりと見なす、ということも考えられるでしょう)。

さて、一番問題なのが③です。結論から言うと、ジャスラックの運営は不透明であり、不適切です。コンサートなどで1曲ずつ申請して著作権料を支払っても、ジャスラックから権利者への配分には反映されません。ジャスラックが独自に配分率を計算し、それに従って配分されるという方式です。

ジャスラックの運営がいかに良くないかは、ネット上に多くの情報が上がっているので、ぜひ皆さん検索してみてください。で、この問題は長年放置され、最近はカルチャー教室に包括契約を迫り、ついに今、音楽教室にも食指を伸ばしてきた、という段階です。

ジャスラックの問題を放置しているのは、その上で胡坐をかいている権利者の怠慢です。その状況のなかで、著作権の権利拡大など到底納得出来るものではありません。僕は本来、無形知的財産の適切な保護を主張したい立場ですが、既得権者側がこれでは擁護する気になれないのです。

しかし、このような展開は、じつは予想されたことでもあります。僕の教室では、この問題に対応するためにどのようにしてきたか、というと、市販の楽譜使用をやめ、著作権のかからないトラディショナルやオリジナルの楽曲を独自に編曲し、魅力ある教材を揃える、という方向で努力してきました。

当面は大手の音楽教室からのみ著作権料を徴収するようですが、それが個人の教室に及んできたら、僕の教室では「著作権のかかる楽曲は教えない」宣言をしようと思います。そして、それまでに「流行曲を消費するだけの音楽活動」から「トラディショナルやオリジナルの楽曲を皆で大切にする温かい音楽活動」に転換していきたいと思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?