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うちの妻の出産、痛くなかったんです


ver1.0_2014.6.26 update [投げ銭]値段があるけど払わずに読めます

1. 「気持ちよかった」自然分娩

これは心から、きちんと科学的に研究してほしいと願って書き残す。数年前のことになるが、うちの妻は、一人目の子を産んだとき「痛くなかった」。麻酔などの効果ではない。助産院でのいわゆる自然分娩だったので、機械や薬の力はいっさい借りていない。

もうちょっと正確に書くと、出産中の妻は、僕に肩を支えられながら「ひぎぃ~」「う~ッ」など苦痛の声を上げていた。しかし同時に、ものすごい睡魔に襲われ、痛がって眠り、痛がって眠りをひたすら繰り返していた
そして、すべてが終わってみると、本人はその間を断片的にしか記憶しておらず、彼女の主観的体験においては「気づいたら生まれていた」と言う。さらに「痛くなかった」どころか、「ふわふわして、とても気持よかった」と言うのだ。

ちなみに2人目の子が生まれるときは、違う助産師さんにお願いして、自宅出産をした。これは1人目のときの助産院に不満があったとかではなく、彼女にとって、1人目の出産があまりに夢見心地のままに終わったため「痛くてもいいから、子どもが出てくる瞬間を感じて、記憶したい」という選択だった。逆に言えばそのくらい、最初の出産体験があっさりとして、主観的な苦痛を残さないものだったのだ。

(妻の指摘を受けて訂正:「痛くても良かった」というのは産後に思った感想だそうで、事前にはやっぱり痛くないといいなあと思っていたそうだ。僕の記憶違いだった。自宅出産の選択はほかのいろんな条件から)

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妻の出産はどうして「痛くない」ものになったのだろうか。結論から言えば、その理由はよくわからない。だからこそ、僕はこの現象をまじめに研究してほしいのだ。

ただ、助産院を選んだ僕らの出産体験において、多くの人が選ぶ病院の出産と何が違ったのか、という点は挙げることができる。なるべく時系列に沿って、思いつく限り、書いてみよう。


2. 助産院を選ぶまで

そもそも僕らが助産院を選んだのは、ごく単純に「生まれたばかりの赤ちゃんを抱きたい」ためだった。

「何事もナチュラルが良い」とか「出産は病気じゃないから病院は嫌だ」とか、そういう意見も理解できなくはないが、それでリスクを取ろうという気はなかった。

それより、ほとんどの病院で母が新生児を抱けるのは少しの間で、すぐ保育器に連れていかれてしまう現実に悩んだ。もっと言えば、旦那の僕だって妻の退院まで赤ちゃんを抱けないなんてのはイヤで、出産初日からぜひ共に寝泊まりさせて欲しいと願ったのだが、それができる病院は皆無だった。

自宅から一定距離内という条件も大切な中で、いくつもの病院を調べるうち、助産院という選択肢が浮かび上がってきた。

さっそく、候補の助産院を訪れ、各院の方針などについて、詳しい案内を受けた。このとき知ったのは、助産院というのは院長さんの考え方によってかなり雰囲気も運用も違っていて、大手病院とそれほど変わらない印象のところもあれば、陰陽といった東洋医学の流れを中心的に取り入れているところもあった。

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最終的に僕らが決めた助産院は、民家のようなこじんまりとした場所で、東洋医学を重視していた。

決め手は、面会してくれた院長さんの信頼感だった。面会のあと、僕と妻の感想はまったく同じで「今までのどの病院・助産院よりも、先生の言葉は厳しく、仏頂面で、ぶっきらぼうな態度だったけど、なぜか深い愛情を感じた」というものだったのだ。

この面会の時点では、痛くない出産ができるとかそういう「美味しい話」はいっさい聞いていない。むしろ「現代社会で、自然状態とかけ離れた生活を送っていながら、出産だけ自然分娩なんて考えが甘い」とか「予定日まで残り少ないのに、本当に覚悟はあるのか」とか。初対面にしてなぜか軽く叱られたと思うくらいだった。


3. 妊娠中のいろいろな教え

妊婦に対する助産院の指導はこまかくたくさんあったが、端的に言ってしまえば、とにかく身体を冷やすな、というものだった。

出産予定日は夏の終わりだったので、妊娠後期は真夏だったが、妻は一日中靴下をはきつづけ、首にはストールを巻かねばならなかった

また「すべてのものには陰か陽の性質がある」という東洋思想から、食事は身体をあたためる「陽」の性質の食品だけが許可された。陰の食品は身体を冷やすという。このため、陰性である甘い食べ物や乳製品は全面禁止になった。ただし、リンゴは「どうしても」というときにギリギリOKとされ、我が家の常備品になった。

運動は、毎日90分以上の散歩が必要だと言われた。僕は仕事で無理なときもあったが、できるだけ毎日、早朝5時に起きて二人で散歩した。

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陰陽による食べものの分類などは、理科好きな僕としては「えー、それってどんな根拠なのかなあ?」と首をかしげることも多い。でも「出産」という大イベントを健康無事に過ごすには、自分たちが信頼した助産師さんたちとのチームワークが何より大事だと思っていたので、助産師さんらに思想的な疑問を向けることはいっさいしなかった。

あるとき、定期検診のときに助産師さんの一人が「良い出産ができると、眠くなって痛くないよ」と教えてくれたのだが、僕は半信半疑なものだから全然印象に残しておらず、のちに実際の出産で半分眠っている妻を見たとき、ようやくそれを思い出した。

また、半信半疑なのは妻も同じだったようで、最初の1ヶ月は、指導を半分守るくらいの感じだった。ところが、助産院の主催する「先輩ママの話を聞こう」という集まりに参加し、考えを改めた。そこに来た15人ほどの先輩ママさんのうち、4人が「痛くなかった」と体験を語り、また「痛かった」というママも「でも、すごく楽しかった」と語ったのだ

出産といえばふつう、とてつもなく痛い体験だと聞かされる。股からあんなに大きな赤ちゃんが出てくるのだから当然だ。ときには痛さ自慢かと思うほど、強烈な例えや言い回しで表現される。

科学の本でも、ニ足歩行を始めた人類は、大きな脳と知性を手に入れた代償として、骨盤内腔がせばまり、出産は苦しいものになったという説明をよく見る。だから僕らは、出産のもちろん大切なことだけど、体験そのものは辛いのだと信じていたし、それは仕方ないのだと思っていた。

でも、助産院の先輩ママらは、とても楽しかった、また産みたいと笑った。同じ助産院で産んでも「痛かった」のが多数派だったから、やっぱり怖い気持ちはなくならない。でも、こんなに「楽しかった」と言えるのなら、あと2ヵ月くらい、きちんと指導を守ってみよう。妻はそう考え、食事制限も運動も厚着の生活も、すべて厳しく守るようになった。

それから1か月後に定期健診で助産院に行ったとき、院長が妻を一目見て「あら、意外と頑張っているわね」と言った。何も説明しないのに、顔だけ見て生活が変わったとなぜわかったのか、ふしぎでならない。


4. 出産の当日

ある早朝、妻は陣痛のリズムがいつもと違うことに気づき、いよいよ産まれるとわかった。陣痛などについては、ふつうの出産体験と変わらないと思うので省略する。荷物を整理してタクシーに乗り、昼ごろは助産院に到着した。(なんとタクシーは道に迷い、それを運転手がごまかそうと周囲をウロウロして30分も遅れたのだが)

先生らの指示に沿って、僕は食料の買い出しに行ったり、妻の体操を支えて手伝ったりした。昼過ぎにはいよいよ陣痛が本格的になり、小さな部屋に移って、いきむ姿勢をとった。ここからは冒頭のとおり、妻には痛みと睡魔の波が何度も押し寄せ、半分眠ったままような分娩が始まる。

このとき僕は、助産師さんの指示で、妻の身体を支え、励ましの声をかけながら、スポーツ飲料を飲ませ、おにぎりを食べさせつづけた。分娩の直前になると食べやすいものということで「バナナを全部食べさせて」と言われ、30分くらいかけただろうか、ひとふさ丸ごと、5本のバナナを食べさせた。
院長がそれを見て「本当に5本食べたのね」と驚きの表情を見せたときは

エエッ Σ(゚□゚;) アンタ何イッテンノー!! と思ったけど。

そうこうしているうちに、夕方4時頃、無事に出産が終わった。生まれたばかりの赤ちゃんのへそを切り、助産師さんが横たわる妻のおなかにのせると、赤ちゃんは自力でよじよじと前進し、おっぱいを飲もうと努力していた。そんな力があるなんて、知らなかった。すごいなあと思った。

また、排出された胎盤をさわらせてもらったが、赤ちゃんと羊水を包み込む膜の部分は、うすくて硬いゴム膜のような手応えで驚いた。


5. なぜ痛くなかったのだろう

助産師さんが事前に言っていたとおり、「気持ち良い」お産ができたわけだけど、どうしてそんなことが起きたのか、今でもふしぎだ。東洋思想の陰陽という説明にも、真実の一端があるのかもしれないが、僕的には、やっぱりそこに、科学的にも解析可能な理由があるはずだと思っている。

考えられる可能性の1つは「代謝」だろうか。つまり、本来的に人間は出産の痛みをやわらげる能力を持っているのだけど、身体が冷えて体内の代謝環境が少し悪いと、その能力が発揮できなくなってしまうという考えだ。

原初的な生活であれば、もっと基礎的な筋力もあっただろうし、日常生活でも多くのエネルギーを必要としたため、現在よりも「身体が冷える」状態になりにくかったのかもしれない。そうであれば、冷えを徹底的に避けることで、本来の能力を引き出したという可能性もあるのではないか。

別の可能性としては、出産中に食べ続けたことかもしれない。想像だが、出産のときはやはり下腹部が活発に活動し、多くの血液が行くだろう。そこで、食事まで加わると消化器官にも血液が必要となって、相対的に頭の働きが弱まるという考えだ。ただ、この説明だと、むしろ危険をともなった行動ということになってしまいそうだ。

でも、ただの眠気であれば、痛いと目がさめるのがふつうだろう。激痛と眠気が交互に何度も押し寄せていたようすを考えると、もっと脳内物質などで、制御されたものであるように感じた。そうならば、脳の働きが弱まった結果だとは考えにくい。血流のかたよりではなく、血糖値の上昇が何かに関与するということかもしれない。

あるいは、僕らの自己催眠による痛みの緩和という可能性はあるだろうか。ここまでに述べたとおり、僕ら自身は人間として助産師さんらに信頼を寄せる一方、東洋医学の思想には半信半疑な部分もあり、あらかじめ痛くない出産に期待を寄せていたという自覚もない。だから、当事者としては、この線は薄いと思っている。

いずれにせよ、薬などを使わず「痛くない出産」ができることが事実なら、これはぜひきちんと解明していくことが、人類に大変重要な財産であるように思う。

どこかの大学で本格的にがっちり研究をしてほしいと、切に願うのだ。


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