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「センス」は生まれつきなのか?

仕事柄、ファッションやデザインなど、クリエイティブのトップランナーと出会う。

話を聞くと、かなりの高確率で口を揃えてこう言う

「もともと、センスがなかった。」

初めは、半信半疑だったけれど、目撃者になった今、僕はそれを信じている。

センスは知識からはじまる

2014年、水野学さんの著書「センスは知識からはじまる」が発売された。すぐに話題になり、当時、TABILABOがスタートしたばかりのオフィスの本棚にもこの本があった。期待を胸に、手にとったのを覚えている。

センスとは、数値化できない事象を最適化することである
まず「普通を知ること」が必要である
センスとは、知識にもとづく予測である

当時、読んだ内容は正解には覚えていない。たぶん、身をもって理解ができなかったから。読んでも身に染みていなかったから。

今では、見出しを読み返すだけで、うんうん。と頷けることばかりだ。

実績のある人が、ここまで言うのだから事実に違いない。ここまで言語化できるのは本当にすごい。

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東京に来る前の僕は、センスは生まれつきのものだと思っていた。雑誌で見る、インテリアやファッションのデザイン、コーディネート。ネットで見る写真や動画。本で読む、文書。

すべてが、天性のものだと思っていたし憧れに過ぎなかった。

理由は、シンプルでその人達がどうやってできるようになったのか。または、できるようになるその瞬間に僕が立ち会ってなかったからだ。

きっと今、僕と同じように思っているひとの大半も同じ理由でそう「思い込んでいる」だけだと思う。

センスのいい人=努力家

メディアを始めて、インタビューに立ち会ったり、その作品が生まれるまでのプロセスを目の当たりにするようになった。

それだけでは終わらせられず、見様見真似で取り組み、できるようになったこともたくさんあった。

いつのまにか僕の中の「思い込み」は溶けてなくなっていた。

だからこそ今センスがいい人に出会うと、生まれつきのものだと思わない。

この人は「努力家」なんだなと思う。

一方で、東京には「センス」を幼少期に家庭環境やその延長線上で培っている人が存在するのも事実だ。

それでも、小さい頃からの、訓練や、練習して、できるようになっているだけで、それに着手するタイミングがはやかっただけで、後天的なもの。

自分に言い訳をして、センスを「憧れ」のままにしておくのは、あまりにももったいない。

「センス」はすでに、あなたの中にある

大学生のインターンや新卒に、クリエイティブに関わる仕事をしているとよく聞かれる。

「いつから、こういうことができるんですか?」
「私は、センスがないから...」

今の自分には、周りにいる起業家やトップクリエイターたちと比較して圧倒的にセンスがないとわきまえた上でこう答えている。

「僕もセンスがなかった。今でもないと思っている。でも、センスは生まれつきではないことを知って、追いつくための努力をしてきたし、今でもしてる。正直、妬ましいと思い、他人のせいにした時もあった。でも、それをしてもセンスのない自分という事実は何も変わらなかった。センスは、チャレンジ、経験、学習から生まれるから、身に付けられるよ。」と

水野さんの、エピローグにはこう書かれている

「センスはすでに、あなたの中にある。」

このことを身をもって理解するのは実は難しいことだと思う。わかった気になるのは簡単だけど。

でも、こう思えるだけで、明日からの行動や「センス」と向き合う姿勢も変わると思う。1番大事なのは方法論を理解して、正しくアプローチし続けること。

センスを憧れのまま、終わらせたくない。

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