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閉じる扉・開く扉

昨日はマヤ暦の元旦(昨夜、「今日は・・・」ってくだりで書き始めたんだけど、途中で寝落ちしてしまったので「昨日は・・・」になってしまった・泣)
マヤ暦自体はそんなに詳しいわけじゃないのですが、あるご縁からマヤ暦のダイヤリー(手帳)を使わせていただくようになり、オラクルカードに対して感じたのと同じ『大いなるいのちの営み』のようなものを感じ、気づけば昨日からスタートの手帳で4冊目。

マヤダイヤリーを教えてくれた名古屋の『和Style Cafeかまくら』のオーナーから「3冊目から奇跡がよく起こるんですよねえ」と聞いてたんですが・・・260日周期の最初の日に掲げた目標(抱負)がまったく叶っていないって、半月ほど前にブゥブゥ言ってました(汗)
ところが最終日(マヤ的な大晦日)となる一昨日、雪崩のように答えが流れ込んできてビックリ!確かに奇跡が起きましたというか、むしろ最終日に合わせたように起こるもんだから、奇跡感倍増って感じでした(笑)

そんな流れの中での元旦。
完全にタイムラインが変わってしまったようで・・・それまで取りつく島なしで家庭内別居状態だった母が「一緒にモーニングに行きたい」と言い出し、その流れで友達の手もみ&肩もみマッサージを受けに行ったり。

一ヶ月ほど音信不通だった人と久しぶりにリラックスした空気感のメールのやりとりが起きたり・・・逆に自然体だと感じてた人との会話に違和感を感じたり。

自分の波動の状態で見える世界、関わる人や出来事、関わりたい人や出来事ってゴソッと変わってしまうのをリアルに体感し、またひとつ世界の見え方・感じ方が変わった感じです。

特に今っていろいろ起きるから、気をつけててもエネルギー状態(気分)の浮き沈みも激しめ。エネルギーが高いときに知り合った人とはエネルギーが下がっていくことで疎遠になっていくし、逆に調子がイマイチなときに関わるようになった人や出来事とは調子がよくなるにつれて嚙み合わなくなったり、意識にあがらなくなってくる。

便宜上(伝わりやすくするため)、高い低い、うまくいってる、イマイチって表現をしましたが、どっちが良い悪いでなく、単に色の好みの違いくらいな感じ。同じように好みが変化していけば長く続くし、一方だけ好みが変わったり、互いに違う方向に好みが変わっていけばお付き合いのあり方にも変化が起きる。
逆にこれからの時代(っていうか、これまでも本当はその方がよかったのだけど)、そこを我慢して無理に続けると、本来知り合うべく、曲がり角の向こうにいる人と出会えなくなるので、素直に行った方が良いように感じます(と書きつつ、ボクも別れはそれなりに寂しく感じますよ・汗)

これは人だけでなく、出来事や趣味もそう。
いつまでもリカちゃん人形で楽しめる人はそれでいいけど、大人になったら趣味が変わっていくこと、あるじゃないですか。それなのに「これまでリカちゃん人形にお世話になったから、私は浮気はしない」っていうのって、世界を狭めてしまいますもんね。

実はマヤ暦的に奇跡が起きたのは確かなんですが・・・一週間ほど前に違和感を感じて閉じた扉があるんですね。
それとその後で起きたこととはなんの関係もないように見える(実際、関わる人に繋がりがあるわけじゃないので)。けど、ここで閉じてなかったら、次の扉が開くことはなかったように思います。

『すずめの戸締り』って映画の扉を見たとき、締めることが次の世界への扉を開くことに繋がってるなあって感じたんですね。そうはいっても、なかなか慣れ親しんだ世界・思いの扉を閉じるってできないこともあるんだけど、「閉める」と決めるだけでいい。出来なくてもそう決めることで、閉めれずにいる思いを吹き飛ばすくらいの世界が展開し始めたり、閉めれずにいた思いが癒されたりする。
そのとき、案外失ったと思っていたものが目の前に現れたり、パワーアップした違う形で現れたり・・・奇跡を体験する。

こういうのって体験でしか腑に落ちないところもあり、とは言うものの、腑に落ちてないから前に進めない(閉じると決意できない)し・・・っていう、鶏が先か卵が先かみたいな感じになったりもしますが・・・できることからでいいのでやってみるのがいいかと。

そんなわけで新たなマヤのはじまり。
この260日、どんな展開が待っているのか、楽しみにし、楽しみながら進んでいこうと思います。

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