優しさは思ってるより人を傷つける
スラマッパギ!相生ゆうこでーす!
好きな作品のネタなので流石に胸が痛みました。二度とやりません。今回は、最近よく考える ”優しさ”についてです。多分面白くないし、拙いくせに長文なので読みづらいと思います。
⚠️人によって不快に感じるかも知れません。無理に読まず、さっさと閉じてブロックなりしてくださいm(_ _)m
僕は考えすぎる癖があります。しかもネガティブな方向ばかりです。あの人はどうしてそんな行動をとるんだろう、今笑ったのってもしかして俺が変な事してたから?みたいな感じの思考を何年も続けています。この話を友達にした時は「生きづらそう」と言われましたが、こうした方が相手の出方や思いがけない事に対応出来るから辛いとは思わないし、むしろ生きやすいです。僕はこの「考えすぎた事」を使って相手の気を伺ったり、機嫌を損なわない事をするようになりました。その事によって僕は当たり障りのない、「優しい人」になってしまったのです。ただ、1つ言っておきたい。僕は好かれたいとかモテたいというどうでもいい理由のために優しさを出しているのではなく、純粋に相手の為に行動したり、損する人が減って欲しいという思いで動いてます。ガチです。この結果でモテたりするのでモテる為にやってる奴とは一緒にしないでください。
優しい人になる為に才能も努力も必要はありません。相手が「この人は優しい!」と思った時、その人は優しい人になります。つまり、自分が優しくなるというよりは相手に思わせた時に優しい人になるということです。(説明してる肝心な部分が拙くてごめんねって感じです。)
僕は中1から今までテニスをしていて民営のコートを利用することが多いのですが、試合で使うボールがサーブやらなんやらで飛んでった時にすぐ拾いにいきます。これは褒めて欲しいとか有能だと思われるためではなく、円滑に試合を進めて欲しいからでやっています。そして次の自分の試合を早くやりたいからです。また、コート使用後の整備も、「早く帰りたい」や「次の人に早く変わらないと」という理由でさっさか動きます。これを他人が見た時に「じょびくんはボールよく拾ってくれるし整備もやってくれて優しいね」という評価に落ちやすいです。これが僕の"優しさ"の例です。説明のためとはいえ自分の優しい所を挙げるのは恥ずかしいし、この例は必要だったのか分かりません。
なぜこれが悩みに繋がっているかと言うと、下手に人に好かれてしまっているからなんです。僕は、人の為に動くこともありますが、ほとんどは自分のためです。嫌われない為や自分に都合のいいように行動します。自分のためにやってる事が人の為に繋がっているぶんにはいいんですが、相手に「優しいよね」って言われた時、何故か素直に喜べないんです。贅沢な悩みだね。カスだね。でも、"優しい"という単語を調べると「思いやりがあること。」とあって、僕は思いやりで動いてるつもりがないし、見返りを求めた事がないので引っかかってしまうんです。
気持ち悪い話かも知れませんが、先日サークルの女子から「じょびくんの優しさに惚れて気になってる。付き合えない?」と言われてしまいました。僕はその頃は別れてすぐで付き合える気がしなくて言葉を濁してしまったんですが、正直好意はありませんでした。この時、人に優しくすることで相手を傷つけた事を実感しました。自分に嫌気がさしました。本当に誰かのためなんて思ってない事が多いので、衝撃でした。
書きながら、僕の優しさはとても未熟なものなんだと思いました。本当の優しさは人のためであり、自分の為から生まれることはないです。ここまで、自分を悪者だと思われないよう綺麗事を書き連ねていたことに気づきました。どうせ行動するつもりがあるなら、全部人の為に動けるようになりたいです。
初めてこの量の文を書いたので、上手くまとまってないだろうし不安でいっぱいです。また、文字だけなので読みづらいと思います。次からは画像使ってそれっぽい感じを醸し出していきたいですね
ただのぼっちの戯言くらいで読んでもらえると気が楽です。ありがとうございました。
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