カーターピーナッツ

カーターショコラ

カーターまんじゅう

広島県三次市の
名産品。

三次市には他にも

カーター通り

カーター通り駅
(道の駅)

カーター記念球場
(プロ野球も開催)

カーターシビックセンター
(プラネタリウムがある)

カーターと名の付くものが
三次市には沢山あります。

ここに出てくるカーターは
前回お話しした
ジミー・カーター大統領です。

なぜ広島県の北部で
カーターの名前がこんなに
出てくるのか・・・

話は1985年に遡ります。

アメリカで
カーター大統領図書館、
カーターセンター建設に
伴い日本庭園も完成。

その起工式に合わせ
梵鐘がカーターへ
寄贈されました。

梵鐘に刻まれていた
文字から、この梵鐘が
もともと広島の正願寺の
ものであることが判明。

なぜ、広島のお寺の鐘が
アメリカにあるのか??

ということになりました。


この梵鐘は約200年前の
1820年に
鋳造されたもの。

1942年
第二次世界大戦中、
金属類回収令が発令。

砲弾材料として
呉海軍工廠に供出されました。

しかし、兵器製造に使われる
前に終戦。

この後、この梵鐘は
海を越えてイギリスに
渡る事になります。

この経緯は明確では
ありませんが

戦後広島は米軍ではなく
イギリス軍が駐留しました。

司令部は焼け野原の広島では
なく呉に置かれました。
(現:入船山記念館)

呉にはイギリス軍が
長く駐留したことから
様々な海軍料理が有名に
なります。

このイギリス軍が
なぜか梵鐘をイギリスに
持ち帰ったと思われます。

この後、梵鐘は
あるイギリス人男性の
所有となり
梵鐘を相続した息子が
アメリカ合衆国に移住、
1985年にカーター大統領に
寄贈されました。

1989年
この梵鐘は
カーターセンターの玄関に
「平和のシンボル・広島の鐘」
して展示されることに
なりました。

1990年10月21日

カーターが甲奴町(現三次市)に
来訪しました。

この際、カーターは正願寺の
「二代目」の梵鐘を衝き、
メッセージを記した
記念碑の除幕を行っています。

以後、甲奴町とカーターおよび
ジョージア州の市民との交流が
行われることとなります。

2001年には、日本では栽培されて
いなかったランナー種の
ラッカセイ(ピーナッツ)の種が
贈られ、「カーターピーナッツ」
いう名を与えられます。

なぜ、ピーナッツを??

ジミーカーターは終戦後
低所得者向け公営住宅に暮らし、
妻と共に公共図書館で自学して
ピーナッツ栽培に取り組み、
成功を収め、その後政治の道へ
進んだのです。

カーターはピーナッツ栽培の
プロなのです。。。

日本にはカーターの
名がつくイベントがあります。

カーター記念黒部名水マラソン

富山県黒部市で毎年5月に
開催されている市民参加型の
市民マラソン)。
1984年創設。

ジミー・カーターが
YKK創設50周年の行事で
黒部市訪問の際に、
来市を記念して
開催されたジョギング大会が
始まりのようです。

しかも、本人も参加・・

YKKとの関係、なぜジョギングを
しようと思ったのか
因果関係が良くわかりませんが
また、北陸に行ったときに
リサーチしておきます。

画像1

黒部渓谷。美しい場所ですね~。


2002年
ノーベル平和賞を受賞。

1984年、広島に来訪。
カーター前大統領と
ロザリン夫人は
平和記念公園の原爆資料館を
見学、原爆慰霊碑に参拝、
献花した。

米国の大統領経験者が、
資料館、慰霊碑を訪れたのは
これが初めての事です。

同前大統領は参拝の後、
慰霊碑前で、平和アピールを
発表し「核による大量殺りくを
防止するには世界の
指導者の行動だけに
頼るのでなく、世界の人々が
平和を要求することだ」

呼び掛けました。

ジミー・カーター大統領も
現在、97歳

一緒にピーナッツ畑を作った
妻のロザリンも94歳。

そのピーナッツが広島北部の
名産となり広島のお寺の鐘が
地球をグルっと回りアメリカへ。

「つながり」を知ると見える世界も
変わってくるような気がします。

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