周囲との信頼関係こそが財産

4月末をもって、一緒にチームを推進してきた同期がオプトを卒業した。卒業に向かう過程で、様々に感じたことを書き留めておきたい。

彼と初めに仕事をしたのは、3年前にさかのぼる。とある広告商材の拡販を行うためにプロジェクトが発足し、仕入れ業務側から取りまとめていたのが彼だった。バランス感覚に優れ、コミュニケーションもうまく、当時2年目ながら見事に部門横断のチームをまとめ上げ、売上目標を達成。突出した能力があるというよりも、非常に欠点がないという印象だった。

それから1年後、彼と同じ部門になることで再開を果たす。新規広告商材のコンサルティングを行う部門の立ち上げメンバーとして、お互いに召集されたのだった。部門の3割くらいが職種上の未経験者で、お互いに何で貢献していこうかと手探りの日々だった。彼は仕入れ部門の出身、僕もオペレーション部門の出身だった。

1年前から、同じチームになった。常に数字の面ではチームを牽引し、ムードメーカーでありつつ、調和を取ってくれていた。時には適切な指摘を僕にくれて、それがチーム運営をより良いものにすることにつながっていた。

そんな優れた人間だが、僕から見て何よりもうらやましかったのは、周囲の人から「信頼され、愛されていたこと」だった。いちメンバーとしての行動範囲を明らかに超えていながら、誰からも白い目で見られない。そんな彼ならマネージャーとしても十分に成果を出せるし、大きな仕事ができる素質があると思っていた。(能力については言うまでもない)

彼と僕は対照的な部分があり、周囲との関係を築くことが苦手で、昇進の機会を逃したことがあった。自分の課題を認識していた矢先、同期の卒業と周囲との関係の深さに気づき、それをうらやましく思った。

「周囲からの信頼」というのは本当に財産だと思う。僕はこの点で劣等感すら感じた1年だった。「もしも彼のような信頼貯金があれば、もっと信頼を投資して大きな仕事をするのに。」「もしも彼のような能力があれば、会社に対してもっと大きな責任を要求するのに。」最後の数日はかかわった同僚としてそんな悔しさを感じることが何度かあった。これも愛された理由な気がするが、謙虚でかつ引っ込み思案なところがあった気がする。

一緒に仕事をできる時間は短く、組織は刹那的なもの。仕事で関わらせてもらったたくさんの感謝ともに、これからも僕はオプト人生を楽しんでいこうと思う。「また熱量込めて仕事を語り合おう」という約束に答えられるように。これからも正念場な毎日を力強く歩んでいこうと思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?