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「自分」をどこまで見せるか。

 私はかつて、私ではなかった。こう書くとなにやら小説かなにかの書き出しのようであるが、事実である。「角田文人」とは私がnoteに登録して活動を始める際に付けた名前であるし「ぶんちゃん」とはもっと後、note上でのある企画に参加する際に思いついた名前である。それどころか「角田文人/ぶんちゃん」としての私すら、noteを初めてすぐにはこのような丁寧な言葉で例えばみなさんのノートを紹介する活動をしていたわけではない。noteで活動していく中で変化し続けて現在のようになったものである。

 そのような経緯であるから、当然「角田文人」と名乗っている言わば「中の人」の普段からの言動をそのままnote上で再現しているわけではない。騙すと言えば聞こえは悪いが、要するに私の投稿するノートや言動をみなさんに受け入れていただくための「キャラ作り」である。ここで勘違いしないでいただきたいのは、「角田文人/ぶんちゃん」としての言動は「noteの外での私」と必ずしも同一ではないにしても、基本的な考え方などについては決して嘘をついているわけではないのである。noteでの初期の私がどのようなものであったかは、あえて書き換えたり削除したりせずに残しておいたものもあるので、お時間が有り余って仕方ないというかたはご覧になってみると「このまま続けていたら現在のようにはいかないか、全く変わったものになっていたであろう。」とわかっていただけるのではないか。

 noteのキャッチコピーは「つくる、つながる、とどける」である。この中の「つながる」という部分を重視して、noteを他のSNSと同じように使って他ユーザーやクリエイターたちと親しく友達のように付き合うことを、私は決してやめさせたいわけではない。むしろ出来ることならばみなさん全員とそうしたい側の人間である。ただ、その目的いかんに関わらず、全てをさらけ出すかのように自らの心情などを、たとえ有料ノートやマガジンの中であっても書いてしまうことはnote内外での活動にとって必ずしもプラスには働かないのではないか。

 もちろん必要以上に他人の目を意識して、この記事を公開したら、あるいはコメントをしたらどう思われるかなどと思い悩む必要もないだろうが「現在の自分が存在すら意識していない、これから自分の記事や作品を見てくれる(あるいはお客さんになるかもしれない)人たちにも見られている」という意識は持っておくべきであろうと自戒を込めて思う。

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