見出し画像

最後の話芸の天才・上岡龍太郎

画像は「パペポ」の有名なポスターから。良い子は画像検索とかしちゃだめだぞ!

自分の父親が亡くなろうっていうんだから、当然その前後の年齢の人たちもどんどん鬼籍入りしていくようになっていくわけで。
自分より親の近い年代の人なら、なおさらでしょうか。自分が音楽で一番聞いているさださんなんかも、順番からいえば自分よりは先に彼岸に行くことになりましょうし。

とはいうものの、引退の報道から、いつか来るとは思っていても、やはりその時が来たら、なにか普通とは思わずにいられなかった、上岡龍太郎師匠はそういう人でした。

関西で生まれ育った自分は、上岡龍太郎はかなり早くに触れていて「花の新婚カンピュータ大作戦」や「ノックは無用」などでも目にしていた記憶はあります。ただその頃は小学生だったように思うので「ノックは無用」の「フォンテーヌ!」で笑ってた、そんなレベルだったんじゃないでしょうか。
自分の中で、意識し始めだしたのは、多くの人がそうであるように「鶴瓶・上岡パペポTV(通称「パペポ」)」ですね。この頃から上岡龍太郎は毒舌キャラと言われるようになってきたと思うのですが、今、世間の人が思う毒舌キャラとは違うように思うのですね。

今、毒舌キャラといえば、有吉弘行だったりマツコ・デラックスだったりするのでしょうか。でも、二人が真に毒舌だとしたら、上岡龍太郎にはそこに「愛嬌」というか「ダンディ」とでもいうか、毒は吐くけど憎めない、という魅力があった。私はそこが好きで笑っていたところがありますね。言うてることがメチャクチャでも、なんか本気で反論を考えるとバカバカしくなるというか、毒舌家なのに毒気が抜かれて、爽快感がある、という物言いが多かったように思います。そしてそれを「芸」として昇華させた。恵まれなかったかどうかはわかりませんが「天才」は言い過ぎではない、と思ったものです。

パペポの余談でいえば、元々は鶴瓶さんのほうが、上岡龍太郎に楽屋ばなしをテレビのみんなの前でやれば面白いのでは?と提案したのがきっかけと聞いたことがあり、その見込通りに人気番組になったところを見ると、鶴瓶さんの慧眼も見落としてはならないところです。
鶴瓶さんは、この手の「筋書きのない」という展開を得意としていますね。「らくごのご」だったり、今もやっている「家族に乾杯」であったり。

他に、上岡龍太郎の魅力に引き込まれた番組があります。関西限定で放送されていたラジオ番組「歌って笑ってドンドコドン」という番組です。

北は国後・択捉から南は沖縄・石垣島。日本列島全国津々浦々、いかなる山間、へき地、文化果つる所、寒村離島までも電波を送り届けるという、今や社会的国民行事的番組

こういう口上がスラスラっと出てくるのも、この人のすごいところですね。
(実際にはローカル曲のラジオ大阪単局の放送のため、国後択捉どころか淡路島くらいが限界なんじゃ・・と思うのですけども)

当時はラジオ少年でもあった自分は、この頃いろんなラジオを聞いていて、それによって影響を受けた人は他に数名いるのですが(さだまさしを聞き出したのも、この頃「セイ!ヤング」を聞いていたから・・など)そういう意味では自分のお笑いの基準を、無意識に育てていた気がしますね。
まぁ自分の都合なのですが、ラジオで聞いていて面白いと思える、というのは、視覚ではなく、聴覚だけで笑いを取る、ということで、それすなわち話芸の基本なのではないか、ということを、なんとなく考えていた記憶があります。その癖が今でも続いてしまっていて、テレビでM-1なんかを見ても、つい、目をつぶって、聞いて笑えるか?みたいな基準で見てしまう。
なので、つい最近のネタで恐縮ですが「安心してください!履いてますよ!」と言われても「安心できんわ!」みたいになってしまう(←理不尽)

お笑いは話芸だけではないので、それ至高とは言わないですが、自分の中では、この「聴覚だけで笑える」というのは無意識に重きをおいてしまっている気がします。そこまで影響を受けてしまった、というわけですね。

上岡龍太郎が引退した原因は、夫人に指摘されたから、らしいのですが、自分としては、その引き方も「上岡龍太郎らしいなぁ」という印象ですね。今みたいなネットの時代にyoutubeとかでオリラジ中田がやっているようなこと、同じインテリ風の上岡龍太郎がやるとは思えないしw

関西の人にしか分かりづらいニュアンスの話ですが、京都人だった上岡さんは、お笑いの中心の大阪とも、ちょっと違う、関西には今は残り少ない「粋」を感じさせる人でした。同じくらいの粋を感じさせたのは、先に亡くなった米朝師匠、いと・こいさんくらいかな。
ほんとに、ご冥福をお祈りいたします。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?