お金に対する感覚の変化

 僕がマカオでポーカーを専業でしていこうと決めたのは、29歳の時でしたポーカー友達からマカオにポーカーしにいかないかと誘われます、まだグランドリスボアというホテルにポーカールームがありレートは10-20HKDからありました。レッドドラゴンというトーナメントの時期だったこともあり、ライブキャッシュは非常に好況でした。

 期間は約2週間、とりあえず10万円をHKDに変えて10-20HKDからスタート、ゲームもずっとよかったので二週間寝て起きてポーカーを繰り返します。

 二週間で思っていたより勝ち、好きなゲームをしながらたべていけるかも、、そんな期待が膨らみます。本気でマカオで専業をすることを考えマカオの再来を心の中で誓います。

 二回目の遠征の時は3か月いました、その時にじぇいそるくんの宿にお世話になります。じぇいそる君に紹介してもらった、日本食のレストラン三井には本当に何度もおせわになりました。

 結果は満足のいくものだったので、本気でマカオに住むことにします。日本から近く、食事もあうし、ゲームは際限なく高いゲームがあり、目の前でなん100万というお金の動くハイローラーポーカーゲームなどなど、しかもベガスと違い移動はほぼ徒歩でいける距離にカジノがあり治安もいい。

 人にもよると思いますが、僕にはラスベガスよりも、いい条件におもえました。ラスベガスより劣るとすれば、高いレーキと少しうるさい中国語くらいでしょうか?

 当時、お金のなかった僕はマカオでお金をしばらくためることにします。そんな感じでマカオの生活はスタートしました、

 目標の金額に達したのは4年目くらいでした。しかし僕は専業をやめれません、4年目になるとだんだん強くなりバンクロールもできて、高いレートで打ちだせるようになり、しかもマカオにはさらに高いレートまである、、

どこまで駆け上がれるか試してみたいという気持ちと、毎年上がっていく収支、はたして僕がビジネスをしてこれ以上毎月稼げるだろうかという疑問が、僕をマカオにひきとどめ続けます。

 しかし8年くらいしてから、様々な気持ちが交錯しだします。マカオの普段立っている最高レートのHMの300-600や PLOの100-200-400を打てるバンクロールができ、さらに時給があがります、しかしマカオにはまだ高いレートがたちます、1000-2000hmや 200-500-1000 PLO,,

 しかもゲームは社長つきです、、僕が打った最高レートは、ほんの数回ですが、200-500-1000 PLOでした、レートで緊張したのは久しぶりです。いくら高くても平常心で打てるバンクロールがほしい、、、ポーカープレーヤーなら目の前のいいゲームをバンクロールが十分でないために座れず、悔しい思いをしたことがある人は多いはずです。

 ライブキャッシュではバンクロールも実力といわれる理由もそのうちの一つです。目の前にチャンスがあるのに、座れなくて紋々とする自分。

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 その一方で、こんなことをいつまでするんだろうという葛藤が起こります。絵にある青い数字は年齢です、、死ぬまで目の前のお金を拾い続けるのだろうか?

 ライブキャッシュポーカーはそのゲームの性質上、ビジネスと違い、仕組みを作りオートマチック化はできません。

 金銭的な不自由さから解放された代わりに、場所や時間的な制約から逃れられないことへの、ジレンマが起きます。

 それに加えてビジネスや、株や仮想通貨で自分より稼いでる友人達への羨望。

 彼らが稼いでいる額をきいて素直にこう思いました、

なにそれ、、ずるい、、

 僕がサラリーマンだったころにくらべて、ポーカーは数倍いい条件であるにもかかわらず、欲望にはキリがありません。

 そんな葛藤を抱えながらしていた時にコロナでマカオのライブキャッシュの環境が絶たれます。

 もう一度、、ゆっくり何がしたいのか考えよう、きっともっといい方法があるはずだ、そうして2020年、僕の長い休暇が始まります。

 つづきはまたかきますね.^^

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