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律法と死の関係 ローマ6−7章

●奴隷について
オメル:ユダヤ人は、エジプトで奴隷だった。出エジプト後は、神の奴隷になりました。19世紀ぐらいまで、ヨーロッパのユダヤ人は現地で奴隷でありました。だから、奴隷の概念は持ちやすいです。しかし、日本の仏教や神道の文化には、神の奴隷という概念がそもそもありません。ローマ書にある神の奴隷になるということについて、日本人はどう思われますか?

井村:一般的な日本人は、神に「すがる」感覚はあるが、「従う」という感覚がないです。一神教ではないので、絶対的な価値観がないからです。歴史的な背景として、武士は君主のために命を捨てるという概念があります。

和恵:日本人クリスチャンは、神様に対して「奴隷」という概念を持つことができるのではないかと思います。

●死と律法について
オメル:ユダヤ人の友達と話していて、「クリスチャンは律法を守らない」と言って怒っていました。
このローマ書を見ると「死んでいるから、律法を守らなくて良い」という概念が読み取れます。それに「律法が罪を作る」という考えには納得できません。

和恵:それは誤解で、律法は罪を知るためのものです。7章12節で「律法は聖なるもの」とあります。

和恵:「罪は死をもたらす」ということで、創世記の知識の木にある死について、どう考えますか?神様との関係が断絶することが死です。すると復活は、神様との関係が回復したことなります。

オメル:それは、新しい考えで、そんなことは考えたことはありませんでした。もし、自分がクリスチャンだったとして考えると、罪と死のロジックは理解できました。ローマ6−7章はとても興味深い内容です。

和恵:7章6節で「律法に対して死んだ」とあります。死によって律法の支配から解かれたのです。そして、エレミア31章31節〜(特に33節にあるように、聖霊が新しい律法として、心に刻まれます。だから、律法の行いよりも、罪に対して敏感になっている。それが御霊の働きで、その聖霊に仕えています。

今日のハイライト
ローマ書の6−7章全体にかかれている罪と死のロジックについて、「理解できる」と言ってくれたことが私達にとって、嬉しいことでした。クリスチャンでも理解するのが難しいのに、さすがユダヤ人は聖書の民。旧約だけでなく、新約に対しても開かれるのが早いことを実感しました。

by和恵

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