創世記 果物の木
創世記の1章の木ですが、各節で内容が少しづつ違いますが、ご存知でしたか?これは、ユダヤ人のグル先生、ツビさんに意見を聞きました。ちょっとマニアックなので、難しいかもと思う方は飛ばしてください。
1:11 神は仰せられた。「地が植物、すなわち種を生じる草やその中に種がある実を結ぶ果樹を、種類にしたがって、地の上に芽ばえさせよ。」そのようになった。
1:11 זרע עץ פרי
果物である木 (木も果物のように食べられる)
"tree fruit"
1:12 地は植物、すなわち種を生じる草を、種類にしたがって、またその中に種がある実を結ぶ木を、種類にしたがって生じさせた。神はそれを見て良しとされた。
1:12 ועץ עשה פרי
果物ができる木
"tree which makes the fruit"
1:29 神は仰せられた。「見よ。わたしは、全地の上にあって、種を持つすべての草と、種を持って実を結ぶすべての木をあなたがたに与える。それがあなたがたの食物となる。
1:29 כל העץ אשר בו פרי עץ
①全ての木で、木の中に種を結ぶ果物がなる木がある ( 木を複数と捉える)
"Within the trees, the tree that has fruits in it".
②もしくは、木に種を結ぶ果物がある(木を単数と捉える)
"the tree that has fruits in it."
12世紀のユダヤ教のラビのラシの解説では、1:11の後Gen3:17によって、土地が呪われてしまい、結果1:12のようになってしまったということです。しかし、メシアが来れば1:11に戻ると考えられているそうです。
でも、人の食物としてなぜ1:29が与えられているかについて、ラシは示していないそうです。
それに、この木というのは、それぞれ単数形で書かれています。彼らの間では複数と捉えているようですが、私は単数だと思っています。そうすると、1:29がイエス様で、それによって、1:11に行き着くことが、理解できるからです。
John 5:39 あなたがたは、聖書の中に永遠のいのちがあると思うので、聖書を調べています。その聖書が、わたしについて証言しているのです。
アビガエルに、「ユダヤ人は新約を知らない状態で、旧約聖書を解釈しているので、ヨハネ5:39を前提に、新しい解釈をしたら、聖書はまったく違う書物になると思う。例えば、この木についての解釈についての意見を聞きたかったのだけど、いつかもっとユダヤ人と一緒に取り組んでみたいなあ。」とお話しました。
すると、「なるほど、それはすごく面白いですね!!」と明るく共感してくださいました。少しづつ、その世界が広がるように、お祈りしています。
この解釈の理解には、ミドバール聖書塾のべレシートの授業が土台になっています。この解釈は前例を覆す革新的な解釈でしたが、ロジックはそのとおりだと思いました。ユダヤ人に意見を聞いて確かめていくのが、私の課題の一つです。
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