善悪知識の木

Gen. 2:9 神である【主】は、その土地から、見るからに好ましく食べるのに良いすべての木を生えさせた。園の中央には、いのちの木、それから善悪の知識の木を生えさせた。
Gen. 3:5 あなたがたがそれを食べるその時、あなたがたの目が開け、あなたがたが神のようになり、善悪を知るようになることを神は知っているのです。

この善悪という言葉ですが、ヘブライ語では、

ט֥וֹב וָרָֽע 

良いと悪い。とあります。しかも、良いという言葉は、グッドモーニングのグッド、中国語ニーハオのハオで、とても基本的な言葉です。 

善悪知識の木という崇高な木があるように思っていたのですが、このヘブライ語の単語を見た時に、単純に、言ったことを守れるか、守れないか試されのだ、と思いました。だから、人を試すものであれば、木でなくても良かったのかもしれません。

しかも、人間は美味しいものを見たら、本能で食べてしまう、そういう単純な生き物です。その言いつけを守れない存在であるということを神様は十分にご存知だったはずです。なぜなら、神様が私達を創ったからです。

結果、悪かった!と思うわけですが、してはいけない、と言われたことをしてしまったのですから当然です。

では、なぜ、神様は罠にかけるようにアダムとエヴァを試したのでしょうか。

よく、神様を信じるかどうかという自由意思を私達は与えられている、と聞きました。それは不思議な感じがしました。神様が望むのであれば、わざわざ、自由意思を与えなくても良いのではないかと思うのです。ですが、やはり神様は私達をよくご存知で、目的があったのです。

この木は、神様の初めての律法、トーラーです。ですから、ここで、人は律法を与えられても、守ることができない、ただ単純このことを、神様は私達に知らせたかったと考えられます。

少し話が変わりますが、

Gen. 3:21 神である【主】は、アダムとその妻のために、皮の衣を作り、彼らに着せてくださった。

この衣ですが、レビ記にも出てきます。

Lev. 7:8 祭司が、ある人の全焼のいけにえをささげるとき、そのささげた全焼のいけにえの皮はその祭司のものとなる。

罪の捧げものを捧げた時に、この皮は、祭司が与えられるものということです。この皮から衣を作れるものしょう。これが、許しの印だと理解できますね。だから、イエス・キリストを着なさいにつながります。

Rom. 13:14 主イエス・キリストを着なさい。肉の欲のために心を用いてはいけません。

イエス様は祭司でした。彼は、その命をもって、私達に許しの衣を着せてくださったのです。

神様のためにきよさを求める道というのは、自分の罪との戦いです。その戦いのためには、イエス様がいつも許しを与えてくださるという確信がなければ歩めるものではありません。

Rom. 3:24 ただ、神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いのゆえに、価なしに義と認められるのです。

ですから、律法と罪の許し、両方がセットで与えられると思うのです。

私は、なぜ、他人の罪を問われていると思いました。しかし、人間というのは、言われたことを守ることができない、不完全で弱いものを教えていると思います。だからこそ、律法を与え、できないことは許しを与えて、神様は、私達との関係を育みたかったということが、心から感じることができました。

By 和恵

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