仮庵の7日間、毎日捧げられる牛について
民数記29:12 第七月の十五日には、あなたがたは聖なる会合を開かなければならない。どんな労役の仕事もしてはならない。あなたがたは七日間、【主】の祭りを祝いなさい。 13 あなたがたは、【主】へのなだめのかおりの火によるささげ物として、全焼のいけにえ、すなわち、若い雄牛十三頭、雄羊二頭、一歳の雄の子羊十四頭をささげなさい。これらは傷のないものでなければならない。
梅崎:民数記29:12-40(今日のトーラーポーションの箇所)ですが、仮庵の祭についての箇所だが全焼のささげ物の中で若い雄牛だけ初日13頭から、2日目12頭、3日目11頭、、、7日目7頭まで1頭ずつ減っていくのはなぜでしょうか?
アビガエル:ユダヤ教には色々な規則性のある数字のパターンがありますね。13、12、11、10、9、8、7の数を足してみましょうか。70ですね!
和恵:新約聖書では70の数字はどう出てくるか見てみましょう。
ルカ10:1 その後、主は、別に七十人を定め、ご自分が行くつもりのすべての町や村へ、ふたりずつ先に遣わしになった。
この七十人を遣わす前に十二人の弟子を遣わしているので、この七十人はイエス様の弟子であることがわかります。
ルカ9:1 イエスは十二人を呼び集めて、彼らに、すべての悪霊を追い出し、病気を直すための、力と権威とをお授けになった。
イエス様の弟子とは、主に献身したもの קררבן コルバン 供え物で、と言えばこの箇所が浮かびますね。
ローマ12:1 そういうわけですから、兄弟たち。私は神のあわれみのゆえに、あなたがたにお願いします。あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です。
アビガエル: קררבן コルバンについて ユダヤ教のほうが物理的・肉体的・実際的な感じです。
例)いけにえをささげる というのは、神殿崩壊があり קררבן コルバンを捧げられなくなりました。ですから、今はקרבן コルバンの代わりに祈りがあります。ユダヤ教のקררבן コルバンは大切なものを神にささげる、自分の人生をgive upする、変わるためにささげるということです。
でも、霊的な礼拝をするために自分を変えなければいけない。意志が一番大切。他の人からのプレッシャーでささげるのは良くないと思います。
神は自らを助くるものを助けるという話があります。有名な話に、洪水になり、ある人が屋根の上で神様の助けを待っていました。すると、ボートやヘリコプターが来て、彼を助けようとしましたが、彼は神様の助けを待つと言って乗りませんでした。結果、溺れて死んでしまいました。天国で、神様に、なぜ私を助けてくれなかったのですか?と聞いたら、ボートやヘリコプターを送ったのは、私なのになぜ乗らなかったのか?と言われたそうです。
梅崎:自分の努力で捧げられないこともありますね。こんな経験があります。私は神様から教会の近くに引っ越すことを示されましたが、なかなか行動に移すことができませんでした。1年ほど経ったころ、住んでいたアパートが台風のために屋根が壊れて、引っ越しをせざるを得なくなりました。このことで、神様はご自分の力でご計画をなされる方だと思いました。他にも、同じような経験がいくつもあります。
アビガエル:神様は、そんなふうにご自分の力を現されるのですか、驚きました。すごいですね。
梅崎: 仮庵の祭のささげ物 雄牛計70頭は、新約聖書から主に献身し主の為に仕える者、引いては十字架の主に救われ自分の十字架を背負い主に従う私たちなんですね。旧約の時代、全焼のいけにえとして焼き尽くされたいけにえは現在の私たちが聖い生きた供え物として神に受け入れられるように日々聖霊様に満たされ生きる事。それが霊的な礼拝につながるとは、ユダヤ人とのバイブルスタディならではの導きで、感心しました。
素朴な疑問から始まりましたが、旧約・新約・現代に生きる私たちまで明快に解き明かされたと思いました。7という数字をメモしていてメノラーを思い出し、書かれた数字を足すという新たなヒントを頂いて、昔習ったゲマトリアを思い出しました。ゲマトリアの70 ע アインは、2つの目を持ち、意志の選択、または行動を表していて、二人の主人に仕えることは出来ない。目が開かれていないと礼拝することができない、ということを思い出しました。
by うめちゃん
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