私がnoteに書く理由

飲みに行ってはいろんなジャンルの人といろんなお話をしたり、時には仕事の愚痴を言えたあの場所はもうない。
飲酒で運転すると捕まる時代になったからだ笑

それから数年、パソコンも普及しネットサーフィン、チャット、ブログ。
私のはけ口はいつしか顔の見えない人たちばかりになっていた。

しかしそれに飽きた頃snsの登場である。
顔も見え、なおかつ趣味の合う人が簡単に集まれ、情報の多くはそこから得るようになった。
顔の見えない人達とのやりとりに何か損失感を感じていた私にはリアル酒場だった。

しかしそれもいつしかプライベートも細かく分かれ、これはココ、コレは言えない。
まただ。
こう思うとまた嫌になる。ワガママなんだよ私は笑

基本sns通しのリンクは避けてきた私だが自分を知られるにつれ、本音を言えない病が発症。
そんなにいい顔はしなくても良いと考えても、もしこのツイートが自分の意思とは無関係の場所に流れるかと思うとやはり大人の対応をしてしまう。

だいたい、その人がそのsnsしかやってないからというのも種類ばかりを増やしている原因なのではあるが。
ここも初めはそうでした。初めは情報収集だけ。

しかし、つながりの少ないところに行くとやや気持ちは開放的になりちょっとぐらい言いたいこと書いても大丈夫だよね〜ってなってしまうのが悪い癖。

反応は期待してないけど聞いてほしい。
反応されたら調子にのる笑
それでも自分の本音はどこかで出さないと死にたくなる。

本音を言い合える人=友達
という解釈が正しいのなら私の友達は仕事の仲間である1人ということになる。
お互いに縛りはしないし、助けはしない。
でも援護はする。
解釈は難しいが同じような境遇を過ごした仲間であることには違いない。
わかりやすく言えば、ここぞという時は自分の大切なものを守る事を最優先にしようともお互いが納得している仲という事だろうか。
3日ぶりに仕事に行き、そいつと話すだけで、ネットにつらつらと書く事もない。
書かなくても話を聞いて意思を確認し、自分の考えは間違っていないのか、同調できるのかという確認作業。
納得できなければとことん話し合う事ができる。

まとめ
友達がいなくなったら毎日noteを書いてるでしょう笑
そしてまた次のトモダチを探すのだ…

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