前歯を浴槽にぶつけるかもしれない

前歯をどこかにぶつけたらとても痛そうだ。歯は人間の体の中で最も硬い部分らしいのだが、硬いからといってぶつけても痛くないわけではない。むしろ、体の中でも比較的硬いであろう肘をぶつけた時は、骨に響いてジーンと痛む。だからもっと硬い歯をぶつけたらとても痛いだろう。

私は前歯をぶつけたことがないが、お風呂場にいると前歯を浴槽の縁にぶつけるかもしれないという恐怖に襲われる。手桶でお湯を汲んでいる時や、湯船に浸かっている時、お風呂掃除をしている時、顔面から浴槽の縁に向かっていって前歯をぶつけてしまう、そんなことばかり考えている。前世は前歯をぶつけて死んだのか、これから前歯をぶつけることの暗示なのか、よくわからないが、前歯は私にとって特別なものなのかもしれない。

思い返せば、前歯を認識したのは10年以上前になりる。上の前歯が大人の歯に生えかわったばかりで、噛み合わせ部分のギザギザがしっかり残っているくらいの時、私の前歯が黄ばんでいるという理由で、母に歯医者に連れて行かれた。いきなり連れて行かれて不安だった私だが、先生が「少し黄色っぽいのは健康な証拠だから心配いらないよ。」と言ってくれたことを今でも覚えている。先生の言葉通り、その後特に問題はなかったのだが、その時から私は前歯を気にするようになっていた。鏡でチェックしやすい場所ということもあり、私は前歯を丹念に磨き、暇さえあれば手鏡を持ち出して前歯の観察をしていた。成人した今でも、上の前歯を少しだけ長い時間をかけて磨いていることは他の歯たちには秘密だ。今はそんな手塩にかけて育てた前歯たちが、私がおばあちゃんになっても元気でいてくれることを願うばかりである。

私は、ここにいる前歯を、病める時も健やかなる時も、富めるときも貧しき時も、愛し敬い慈しむことを誓います。

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