私の人生が生まれるテーブルを買った
母を看取ってもうすぐ4ヶ月になる。私と母はたぶん世の中の平均よりかなり濃厚に助け合って生きてきて、最後の最後まで全力で助け合って生きたので、後悔や寂しさというものが普通より穏やかなのかもしれない。でもじんわりと、ゆっくりとしみじみと、日々悲しさはそばにあって、濃厚だった分、私の人生も一緒に一度終わったような感覚にいます。
なんだかなにもする気になれず、仕事以外の自分の時間はコタツでずっと寝ていました。流石にこれではいけないなって思いつつ、いけないわけでもないんだよねって。別になにもしなくても気持ちが良ければいいのだ。人間って本当にすぐ何かを成さねばならぬと思いがち。でも別になにもしなくてもいいのだよワトソンくん。何もしないで心地よくいられることが私には今とっても素晴らしいことに思えます。
そんな私は48歳。アスペルガーの父の面倒をみつつ。私には兄夫婦がいるので、別に私一人が背負う必要はないと思ってる。もう十分人生を捧げてきてしまったから。ここからはちょっと嫌われても好きにさせてもらおうと思って色々どうしたいか考えてるところ・・・。
母と私の遺骨は二人が大好きだった京都へ埋葬する場所を手に入れていて、なんとなく京都のほうに住むご縁が作れたりしてもいいのかなって考えてるところ。全く思ってなかったことに人生ってのは流れていくもんだよね。
京都でのお仕事探しも今の職場の上司が色々紹介してくれそうで、今の仕事スキルをひっそりこっそり磨いて過ごしてみようかなと思ってる。プラス英語ができると有利かもしれないので、英語も再開することにしました。
そんな中、コタツで眠り猫になって、とにかく何もやる気にならないでいるので、コタツを撤去し、吟味して探したお気に入りのテーブルを注文して今日届いたところなのです。
とても。。。とっても。。。とても。。。いい。。。
いざというときに使えるように、技術と英語をスキルアップ。このテーブルの上で私の人生は熟成されていくことでしょう。
とはいえ。プランはあってないようなもの。全て人生の思し召しと縁。
今日1日を自分が幸せと感じるように生きること。そんな今の私がイメージする計画を毎日更新していけばいい。どこへ出るかはお楽しみ。
新しい相棒のテーブルの上で打った最初のnoteでした。
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