戦争・共生・平和 西原和久先生の講義(こいそ)

1家族史
先生父:佐世保の米屋で生まれ満州国の公務員に
先生母:佐賀の酒屋の父が平壌で歯科医開業
   平壌で生まれ先生父と結婚→長春で生活
先生姉・兄6人が生まれ2人が病死
1945年の敗戦で日本に引き揚げる
東京郊外の東村山に移住→1950年先生誕生
大学教授を点々とし現在73歳

2朝鮮戦争とベトナム戦争
 先生が生まれた年、朝鮮戦争が始まる
朝鮮半島は38度線で分断され現在も対立している
平和憲法のある日本は戦争には参加しなかったが
米軍などに支援をして大儲けした
これをきっかけに警察予備隊(今の自衛隊)が誕生
果たして憲法9条と矛盾していないのか
 1965年からベトナム戦争勃発
日本の基地から米軍の爆撃機などが飛び立った
市民達が非暴力を掲げ運動を起こした
しかし連続殺人事件なども起こる
人はなぜ殺し合うのか?↓
人間と社会→権力者と庶民の問題である

3ハワイ大学と「沖縄」との出会い
ハワイにはハワイ沖縄センターや日本文化センター
その近くに冨山久三(沖縄移民の父)の像がある
ハワイでの戦争の時沖縄系2世は通訳兵として動員
戦争が終わって今沖縄では国際交流として
世界のウチナーンチュ(沖縄の人)大会が開催され
様々な国の人たちがパレードをするイベント
ここで他の国との共生を考える上でやはり
日本の基地問題はどうしても上がってくる

4共生の前提としての「平和」の構築
1955年米軍立川基地の拡張に地元の農民達が
反対運動(砂川闘争)を起こした
当時の拡張予定地は地元民の畑はもちろん
とてもアクセスのきく街道を分断するものだった
1956年10月13日地元の農民と武装警官隊が衝突
1000人越えの怪我人を出す「流血の砂川」
翌日国は測量中止を決定した
1957年6月27日国による強制測量が行われた
国は畑に踏み入り測量をしたがデモ隊が柵を破壊
敷地内に踏み入ったとして7人が起訴された
1959年3月30日東京地裁は全員に無罪判決としたが
12月16日に国は跳躍上告①で最高裁へ
統治行為論②によって地裁の判決を破棄し有罪に
この半年間で何かがあっただろうが証拠が無かった
しかし2008年に14通の密約資料が見つかり
米国側が支持していたことが分かった
加えて当時の長官は結果を米国に事前連絡していた
2024年1月に長官の米国への事前連絡について
裁判が起こされたが敗訴した
現在旧拡張予定地の一部には砂川平和広場がある

*①上の裁判所にて異議申し立ての裁判を行うこと
*②政府のしたことに口出しは出来ないという考え方


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