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私用で帰る 水をあげる 覚めたら夢

曲を作る契機、別のエンジンと取り替えないとダメなことは、うすうすわかっていた。というか、この燃費わるい衝動性のこと、どうしても(他人からも自分からも)、信頼できないってのよね。好きの解釈が完全に執着と置き換わっている瞬間があるのは今でもそうなんですが、これでもかなり治療したほうだとおもいます。という心持ちで、普段は過ごせるようにだいぶなってきたのですが、ひどい抑うつ気分に陥るときや嫉妬がまごつくことも全然あります。
ともかく、音楽を本質的に好きになりたいなと思っていて。人間のことは結構多面的に好きになれると思うし・・いや真っ赤なうそですよ。鋭角が私を突き刺してひっ捕らえた後のじわじわと染みて全貌を好きになることしか、俺にはできねえってんだよ、わかったか?
それでだな、なんで7ヶ月ぶりにノート書いてんだって話なんだが、今年ぜんぜん自分に曲を作る気が従来比で桁違いになくて、リメイクばっかしていて、最近学んだrehashって言葉に当てはまっちゃうのか。これってリハーサルの語源だったりする?でも一つの作品を育て上げる行為という表現をして、いい意味に繰り上げちゃうとそうなんだけど、まあ、ばーか逃げてんじゃねえやって感じさ。新しいものを自分のおもうままに作り続けることほどかっこいいことはないと思う。
期限切れの薬を見ると思う。代替みたいな食品を摂取し続けている近頃、そうおもう。だから、人の作った作品を自分がみつけたからといって図々しさが際立つ批評をみるたび、いちいち爆発してる。だからと言って、私が爆発する手法を常套とする皆さんのSNSの使い道はすごく正しいとおもっている。嫌い。
また話が脱線した。

EPとアルバム3枚が私の上半期の排気だけど、いちいちサンクラで集めたら聞けるよ、数日前に録り直しとかやってるけど。
例えばwaterって曲ですけど何回もビョークのカヴァーですか?って聞かれたことあって、いやあれは一応オリジナルだけどビョークのこと意識してるに決まってるじゃん。ちょうどその頃ダンサーインザダークを無表情で5回くらい繰り返し見ていた。waterを、お酒めっちゃ飲んだあと歌ったバージョンと、しらふで歌ったバージョンの比較を行ったところ、やはり音程のおわってなさでいうと素面バージョンだったが、感覚的に解放を感じたのはドランク・ヴァージョンであった。この結果は別に興味深いことでもなんでもないと思っている。全くそうですねとか同意の相槌ももらえそうにないほど凡未満みたいな・・。全然本題に入れなくなってきた。ともかく「私用で帰る」は主にヴェイパーなサウンドに寄せてみた。収録曲の「私用で帰る」、と、「それFAKE」、「バァの帰還」が全部持っていく形にはしてます。あまり歌ってない「私用で帰る」を通して、私は、歌がないとトラックメイクの調子がそんなに上がんないし、そもそもあまりトラックメイクをしないほうがいいのか?という問いが生まれたね・・。別のアルバム「水をあげる」では、おおらかなリズムのとりかたとまあまあキャッチーなメロラインでもって、歌詞が全曲に付いていて、あまりパーソナルでない感じのものが多いとおもいます・・まあ最初から「やっぱ同棲あいつら付き合ってる」とか言ってる「傍」って曲は毛色が違ったかなとか思いましたが。あのなかで一番new曲は「good spot 海」で、あれは熱海に行ったときに書いた詞を元に歌いながら作ったんです(サンクラヴァージョンの名前は「good spot 熱」です)。砂嵐が熱海のビーチに近づくのをほんとうに阻んでくるので、なんかそこに、綺麗なものには簡単に近づけないのだなあとか悟っちゃった。安全確認をするためのカーブミラーが歪んでるのとかにもなんとなく片鱗を感じましたね。自分の主観や閉鎖的経験値って、なんにもあてになんないときある。みなさんがそうだとは思いません、わたしがちゃんと主観機能してない人間なだけだと思います。
EP「sametarayume」ですが、「最近配信してないね、(いいね!って意味だけど!)あみちゃんの曲きいてるよ」って言われて、「きいてんのかよ〜!嬉しい」って素直に思っちゃったんで、去年10月くらいにbandcampで出した「hyper感」っていうアルバムから4曲、サムネイル的存在というか、要点ノートというか、そげな作品にしましたが・・。liというタイトルの曲は去年4月リリースした作品の収録曲のオリジナルなので、当初それと同じタイトルにして(original)とかバージョン名つけていたんですが、なぜか登録の手続きで跳ねられちゃったもんです。1、4曲目は曲を聞かなくてもなんとなくそのまま文章として読める形の詞(2022的トレンド、と勝手に呼んでます)です。うつ気分じゃない時に読むと大抵めちゃくちゃ恥ずかしくなるので、来年には消しちゃってそうだ・・。「魔法がきれたら」「この手掴んだら」とかの歌詞は、一旦別の歌詞で完成させてからリミックスしたあとにまた歌詞を組み替えてたりするので、わりとギミい詩的歌詞構成ですね。俺の場合は、そうやって作ってない曲の方が少ないけど・・。



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