【写真家・近未来探険家 酒井透のニッポン秘境探訪】大阪城の『涙を流す観世音菩薩像』
関西の観光スポットとして人気のある「大阪城」。安土桃山時代に豊臣秀吉が築城したこの城は、贅沢を極めた天守閣や立派な石垣などが見どころになっていることで、大勢の観光客を集めている。
秀吉の勢いを肌で感じることのできるこの城は、当時の姿を緻密に復元されていることから、門をくぐると400年前にタイムスリップしたような感覚に陥る。
大阪城は、国内外からやって来る観光客はもちろんのこと、大阪に住む人たちからも親しまれている観光スポットになっている。意外なことは、このようなところにも〝不思議スポット〟というものがあることだ。それは、大阪城天守閣の北側にある≪山里丸(山里曲輪)≫になる。
≪山里丸≫は、大坂城落城(1616年=元和元年)の際に豊臣秀頼以下32名が自決した場所として知られており、『豊臣秀頼 淀殿ら自刃の地』と書かれている石碑の周りには、自刃した鎧武者の怨霊がさまよっているとされている。
その石碑のあるところから200メートルくらい離れたところに建立されているのが、子どもの背丈くらいの高さの観世音菩薩像だ。この像は、豊臣秀頼やその淀殿などの霊を慰めるために大阪市内に住む老人が昭和53年に練造したものになっている。ある情報によれば、この菩薩像は、何の前ぶれもなく、目から滴がしたたり落ちることがあるのだという。何とも不思議な話だが、まぶたの下を良く見てみると、涙が流れたような跡が残されているのが分かる。これは誰が見ても確認することができるものだ。菩薩像の写真を撮っていると、水の入った木桶を持った男性がやって来た。
「良くいらっしゃいました。この観世音菩薩像は、楽しそうな顔をしているときと、悲しそうな顔をしているときがあるのです。今日は、これ以上ないという悲しそうな顔をしていますね。あなたは、このようなお姿を見てどのように思いますか。とても喜んでいるようには思えないでしょう。雨の日を除いて、1千日くらい来ていますが、こんな悲しそうな表情を見たのは始めてです…」(大阪市内に住む60代くらいの男性)
男性は、そう話すと像の周りの掃除を始めた。雑草をむしり取り、箒を使って落ち葉を集めている。とても手慣れた様子だ。それが終わると線香に火をつけて、手を合わせていた。この男性は、話を続けた。
「この観世音菩薩像さんは、年々その仕草を変えているのですよ。ちょっと前は、もっと上の方を向いていましたが、段々首が下がってきています。本来、菩薩さまは、苦しんでいる人を助けなければならないのです。でも、そうできないこともあるのですね。あの世に行った人たちが心配でならないのでしょう。今でも≪山里丸≫から離れることのできない霊はたくさんいます。そのような霊が辛い思いをしているときは、悲しそうな顔をします。観世音菩薩像さんにもできないことがあるのでしょう」(同)
毎日のようにお参りをしているというこの男性は、1日に2~3回来ることもあるのだという。菩薩像のことは、誰よりも知っているようだ。帰り際、男性は、ハンカチを取り出すと、菩薩像の頬を拭っていた。男性の持ついつくしみの心は、ここで命を落とした人たちにも伝わっているものと感じられた。