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【フォト・ドキュメント】パンクムーブメントの軌跡【第8回】

80〜90年代のインディーズ界の重鎮でもあり、ジャパノイズ界の草分け的バンドでもある『非常階段』。ノイズマスター、キング・オブ・ノイズなどの異名を持つ彼らだが、そもそも音楽的ではないノイズがなぜ表現となりえたのか。地引雄一氏が迫る——

「非常階段」

ノイズの誕生

バンドの中心メンバーのJOJO広重(1998年7月)


極悪ライブ


 耳をつんざくような電子音が会場一体を包み込むなか、生魚、ミミズ、布団などがステージ上を飛び交う。ギターは破壊され、女性メンバーは放尿までしている。
 81年8月、新宿ロフトで行われた『非常階段』の伝説極悪ライブのワンシーンである。
「正直、音楽ライブとは思えない状況だったよね。観客たちは悲鳴を上げて逃げまどうからステージ前はガラ空きだし。でもほとんどが後ろに下がったり壁に張り付いたりして避難するんだけど、その異常なライブパフォーマンスにみんな釘付けなの。不思議と惹き付ける力があったんだよ」
 79年にJOJO広重を中心に京都で結成された『非常階段』。世界で初めてノイズサウンドを作ったバンドである。80年代以降、主に欧米から支持され、のちに「ジャパノイズ」という音楽シーンを生み出すきっかけにもなっている。
「やっぱり世界的にも類がないみたいだね。海外にもノイズミュージックはあることはあるんだけど、あくまでもアートパフォーマンスとしての認知なんだ。でも『非常階段』はパンクやニューウェイブ、いわゆるライブシーンの中から生まれたノイズサウンドだから凄く特殊なんだよね」

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