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真面目だった少年は母親と人生に幻滅し『ぼくを必要としないんだね』と……|千葉少女墓石撲殺事件・石橋広宣

2003年10月1日朝、千葉市若葉区の墓地で16歳少女の焼死体が発見された。少女を撲殺し火をつけたとして逮捕されたのは、少女の偽装結婚相手である夫だった……。
週刊誌記者として殺人現場を東へ西へ。事件一筋40年のベテラン記者が掴んだもうひとつの事件の真相。報道の裏で見た、あの凶悪犯の素顔とは。

「殺すしかないべ」

「そこにあったのは人ではありませんでした。血が逆流するのがわかりました。わたしは知らないうちに霊安室の床で暴れていました」
 変わり果てた愛娘と対面した母の絶望は、如何ばかりか。
 2003年10月1日午前7時頃、千葉県若葉区の墓地駐車場で、焼け焦げた遺体が見つかった。殺害されたのは、市内に住む16歳の少女A。猟奇的な事件に、異例の5人体制で取材に入った。報道陣でごった返す千葉東署に、車で乗り付けたのがAの戸籍上の夫・石橋広宣(22)だった。詰め寄った記者に、広宣はサングラスから上目遣いにほざいた。
「警察から何度も話を聞かれた。犯人扱いされ不愉快だ」

 遺体発見から5日後、広宣と少年4名は死体損壊容疑で逮捕された。千葉県警担当記者が言う。
「盗んだシンナーで遺体を焼いたのは身元を隠すためだったが、広宣のAさん行方不明の警察通報が結果的に被害者確認を早めた」
 千葉県東金市で生まれた広宣は県立高校を1年で中退、塗装工などを経てクラブホステスの送迎運転手を行っていた。広宣は窃盗等により中等少年院2回の入院歴がある。事件当時、詐欺・窃盗による懲役2年で4年の執行猶予中だった。記者が続ける。
「広宣は同一女性と結婚離婚を3度繰り返し、娘が1人います。2003年1月頃から市営住宅で別の16歳少女と同棲、その部屋に殺されたAさんと彼氏の4人で一時暮らしていた」
 Aさんは高校を1年で中退後、パブでホステスとして働いていた。Aさんの親友の姉を通じて広宣と知り合ったという。遊ぶ金欲しさに広宣は姓を変えてサラ金から借り入れを繰り返し、借金は300万円に膨れ上がった。
「『10万円やるから2週間くらい籍を貸して』とAさんに持ちかけた。サラ金から50万円引き出したものの謝礼は5、6万円。結婚を親に知られることを恐れたAさんは離婚を迫った。偽装結婚が警察にバレ、服役の恐怖から殺害を決意した」(捜査関係者)

 強盗致傷事件を起こしていた少年らを巻き込むため広宣は「Aが言いふらしている。生かしておくわけにはいかないべ。殺すしかないべ」と共謀を持ちかけた。Aさんが言いふらした事実は確認されていない。広宣の人格形成を、同僚記者が実母から聞き出した。
「転落の始まりは私の再婚なのです。学校の成績も良く真面目な子でした。でも、中1の時にあの子が『不幸な再婚もあるんだね』と言ったので、つい平手打ちをしてしまいました。あの子は『ぼくを必要としないんだね』と……広宣は母に幻滅し人生にも幻滅したのかも知れません」
 実母は、玄関廊下に頭を下げ続けた。わたしは山武郡に住む実父を訪ねた。幼子の声が響いた。父は、息子の逮捕を知らなかった。
「前の女房は、子供を置いて朝まで飲み歩くような女でした。広宣が3歳の時に別れたきり会っていない」
 そう言うと、深いため息をつき家に戻った。

主犯格の石橋は事件当時、マスコミの取材に応じる姿が報道された

 翌年2月3日、千葉地裁で初公判が開かれた。茶髪を丸坊主にして目は虚ろ、声は聞き取れないほどひ弱だった。冒頭の母親の供述が読み上げられると、広宣は右手で涙を拭った。しかし、検察側が明らかにした事実は想像を絶していた。
〈金槌で背部を殴打したり、足蹴にし(略)この間、被害者は両手で頭をかばうようにうずくまりながら「ヒロ、ヒロ、助けて」と小さな声を出すのが精一杯だった。仰向け状態の被害者の顔面めがけ(略)重量60キログラムの石材を落としたところ、顔面付近から「ブクブクブク」という音がして、これにより被害者は脳挫傷により死亡した〉
 あろうことか同棲していた少女を連れて現場に戻っているのだ。少女は、同僚記者にこう語っている。
「死体を見せられたあとアリバイ工作を頼まれたのですが断りました。ヒロは捕まらないと思っていたみたい」
 2005年4月、広宣は控訴を取り下げ無期懲役が確定した。凶行に走った真因を語ることはなかった。

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小林俊之(こばやし・としゆき)
1953年、北海道生まれ。30歳を機に脱サラし、週刊誌記者となる。以降現在まで、殺人事件を中心に取材・執筆。帝銀事件・平沢貞通氏の再審請求活動に長年関わる。