見出し画像

【写真家・近未来探険家 酒井透のニッポン秘境探訪】東京都北区の廃線跡「北王子線」

 廃線マニアや懐古マニアの間に衝撃が走っている。何と「北王子線」(東京都北区)に残されていた線路(レール)が突然撤去されてしまったのだ。

レールが撤去された北王子線跡
更地となった線路の跡

 「北王子線」と言えば、「高層マンションに突っ込む廃線跡を撮れるポイント」、「グリーンベルトのごとく敷設されている廃線跡」などとして知られていた。北海道からやって来た廃線マニアの男性は、このように話す。

「ネットで線路の撤去が始まったことを知って、すっ飛んで来ました。北王子線の魅力は、高層マンションに線路が“突っ込む”とこころが撮れたことでしょう。もう前から狙っていたのですが、ちょっと来るのが遅かったようです。でも、まだ王子駅からちょっとの区間は、線路が残されていたので安心しました。会社を休んで来た甲斐はありました。安比奈線もそうでしたけど、廃線モノは突然、架線やレールが撤去されたりするので、撮影をするのは大変ですよね~」

途中でレールが切れている箇所も

 北王子線は、田端信号場駅(東京都北区)と北王子駅(貨物駅/同区)を結んでいた日本貨物鉄道(JR貨物)の路線で、東京都区内最後の非電化区間だった。4キロメートルほどの短い路線だったが、北王子駅までは、コンテナ車を牽引したDE10型地ディーゼル機関車(JR貨物所属)が1日4往復していた。

 北王子駅に隣接していたのは、日本製紙物流東京事業部北王子倉庫になる。ここに運ばれていたのは紙製品で、宮城県にある石巻駅から送られていた。かつて北区には、数多くの印刷工場があったことから、それらの工場で使うための紙が輸送されていた。

 北王子線が廃線になったのは、日本製紙・北王子倉庫の廃止によって、運ぶものがなくなってしまったことによる。最終運行は、2014年3月14日(廃止日は同年7月1日)で、この日は、JRFのDE101666号機が担当。数多くの鉄道マニアが詰めかけたという。また、工場近くには、桜の木が植えられていたので、季節になると熱心な鉄道マニアが桜を入れた写真を撮りに来ていた。

田端信号場駅と北王子駅を結んでいた短い路線
高架の下に残るレール

 廃線マニアなどからすれば、今後の動向が気になるところだろう。でも、それは問題ない。同線は、王寺駅から分岐して右にカーブを描いているが、王寺駅から続いている新幹線の高架下のちょっと先までの区間、500メートルほど線路が残されている。

 筆者が撮影をしていると、地元の住民が話しかけてきた。この線がかつて北王子倉庫まで繋がっていたことを説明すると、熱心にスマホで写真を撮っていた。

 「北王子線」に残されている線路がいつ撤去されるかは分からない。今なら隣を走る京浜東北線などの車両を入れ込んで撮ることもできるし、赤く錆びついたレールも味がある。ちょっと時間を作って行ってみよう。

かつてここに貨物車が走っていた


写真・文◎酒井透(サカイトオル)
 東京都生まれ。写真家・近未来探険家。
 小学校高学年の頃より趣味として始めた鉄道写真をきっかけとして、カメラと写真の世界にのめり込む。大学卒業後は、ザイール(現:コンゴ民主共和国)やパリなどに滞在し、ザイールのポピュラー音楽やサプール(Sapeur)を精力的に取材。帰国後は、写真週刊誌「FOCUS」(新潮社)の専属カメラマンとして5年間活動。1989年に東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件(警察庁広域重要指定第117号事件)の犯人である宮崎勤をスクープ写する。
 90年代からは、アフロビートの創始者でありアクティビストでもあったナイジェリアのミュージシャン フェラ・クティ(故人)やエッジの効いた人物、ラブドール、廃墟、奇祭、国内外のB級(珍)スポットなど、他の写真家が取り上げないものをテーマとして追い続けている。現在、プログラミング言語のPythonなどを学習中。今後、AI方面にシフトしていくものと考えられる。
 著書に「中国B級スポットおもしろ大全」(新潮社)「未来世紀軍艦島」(ミリオン出版)、「軍艦島に行く―日本最後の絶景」(笠倉出版社 )などがある。

https://twitter.com/toru_sakai