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【写真家・近未来探険家 酒井透のニッポン秘境探訪】大分県大分市内の「〝敬礼〟する像」
夜中に右腕がスッと…
大分県大分市内の墓地に色褪せた兵隊の像が立っている。住宅街の一角にある墓地にぽつんと立っているのだが、夜中になると〝敬礼〟をすることがあるという。
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地元に言い伝えられている話によると、造られた頃は、右手を挙げて敬礼をしていたという。しかし、その後、少しずつ下がっていったとされている。草やぶをかき分けて像に近づいてみると、袖と服の間に隙間はなかった。本当にそんなことが起こりうるのだろうか?
「かつてあの兵隊の像の右手が挙がっていたという話は、亡くなった父から聞いたことがあります。日露戦争のときにロシアのユフタ(ブラゴベシチェンスク北方)というところで戦死した戦没者の像だと言っていたような記憶があります。まだ自分が子どもの頃でした」(地元在住の80代の男性)
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「父は昔からこの辺に住んでいて、確かに年月を重ねるごとに右手が下がっていったと言っていました。像を造った人が工作をしていると思っていたようです。戦前には、右手は完全に下がっていたようです」(同)
兵隊の像はあどけない顔をしている。年の端は、16~7歳といったところだろうか。
「シベリア出兵」では、大分歩兵第72連隊の第3大隊(田中勝輔大隊長)の207名がユフタで戦死している。大分市内には、日露戦争の慰霊碑などが相当数、立っているようだ。
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「これは噂ですが、若い人たちは夜中になるとあの像の右手が挙がっていると言ってよく騒いでいますね。コンクリートで作られたものが動くとは思えないのですが、何人かが見ているようです。本当だとしたらちょっと怖いですね。長い年月が経っても成仏されていないのでしょうか…」(同)
この兵隊の像が本当に日露戦争以降に建立されたものだとすれば、100年以上ここに立っていることになる。兵隊の像が右手を挙げるくらいならまだイイ方なのかも知れない。真夜中に歩き出すようになったら大騒ぎになってしまう。
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写真・文◎酒井透(サカイトオル)
東京都生まれ。写真家・近未来探険家。
小学校高学年の頃より趣味として始めた鉄道写真をきっかけとして、カメラと写真の世界にのめり込む。大学卒業後は、ザイール(現:コンゴ民主共和国)やパリなどに滞在し、ザイールのポピュラー音楽やサプール(Sapeur)を精力的に取材。帰国後は、写真週刊誌「FOCUS」(新潮社)の専属カメラマンとして5年間活動。1989年に東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件(警察庁広域重要指定第117号事件)の犯人である宮崎勤をスクープ写する。
90年代からは、アフロビートの創始者でありアクティビストでもあったナイジェリアのミュージシャン フェラ・クティ(故人)やエッジの効いた人物、ラブドール、廃墟、奇祭、国内外のB級(珍)スポットなど、他の写真家が取り上げないものをテーマとして追い続けている。現在、プログラミング言語のPythonなどを学習中。今後、AI方面にシフトしていくものと考えられる。
著書に「中国B級スポットおもしろ大全」(新潮社)「未来世紀軍艦島」(ミリオン出版)、「軍艦島に行く―日本最後の絶景」(笠倉出版社 )などがある。