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40年間地道に生きた独身男はなぜ、殺人ストーカーになったのか|耳かきエステ嬢殺人事件・林貢二

2009年8月3日、東京・新橋の民家で、耳かきエステ店に勤める江尻美保さん(21)とその祖母(78)が会社員の男に襲われた事件。祖母はその場で死亡、美保さんは1ヶ月後に死亡した。逮捕された林貢二は耳かき店に通い、美保さんを指名していたが、店を出入り禁止になり、ストーカー化していた。
週刊誌記者として殺人現場を東へ西へ。事件一筋40年のベテラン記者が掴んだもうひとつの事件の真相。報道の裏で見た、あの凶悪犯の素顔とは。

擬似恋愛に溺れて

 2006年頃に登場した耳かきエステが、テレビや雑誌で取り上げられ盛況を極めた2009年夏。「月収68万円のナンバーワン耳かき嬢」とテレビで取り上げられた「まりな」こと江尻美保さん(21)が殺害された。現行犯逮捕されたのは美保さんを指名していた会社員の林貢二(41)だった。
 2009年8月3日午前8時50分頃、ビジネスバックにハンマーと刃物2本を忍ばせた林が、港区西新橋の美保さんの自宅に侵入した。警視庁担当記者が言う。
「同居していた祖母の鈴木芳恵さん(78)に見咎められた林はペティナイフで首などを十数回刺し殺害、2階の自室ベッドに寝ていた美保さんを襲った。『やめて』と命乞いをする美保さんを『この野郎』と廊下まで追いかけ刺し続けた。35日後、美保さんは収容された病院で息を引き取った」

逮捕された林貢二は美保さんについて「恋愛感情はなかった」と主張したが…

 20歳下の娘に入れあげた独身中年サラリーマンの人生を追った。わたしは林が住んでいた千葉市美浜区の団地で聞き込みを行った。同じ階の主婦の話。
「2年前に自治会費の徴収をお願いしたら林さんは快く引き受けてくれました。真面目な人柄で、事件は想像できません」
 千葉市で生まれた林貢二は電気系専門学校を卒業後、配電設備設計会社の設計主任として事件当日まで勤務していた。
「まったく問題はなかった。酒はやらず、会社の飲み会で静かにウーロン茶を飲んでいました」(会社関係者)
 借金、ローン無し。20年間コツコツためた貯蓄は1千万円を超えた。独身をつらぬいた理由を「26歳のころ膠原病を発症。再発の恐れがあるので結婚は考えなくなった」と林は公判で証言している。地道に生きていた林と美保さんが出会ったのは2008年2月、林がインターネットでエステ店を見つけたからだ。司法担当者が解説する。
「最初に担当したのが美保さんで林は『会話もでき好印象』と公判で証言している。2、3週間後に再び来店した林は美保さんを指名した。この頃は1時間のサービスを受けていたが3ヶ月後には1日3時間も居続けた。その理由を『話をしていたら時間があっという間に過ぎていった』と」

 サラリーマンの矜恃か、仕事に支障を来さないように来店は週末だった。年末から年始には連続9日間来店、長いときには8時間居座った。1年間で154回通い、1時間5800円のサービス料を払い続けた。少なくとも200万円以上は費やしている。3畳ほどのブースで2人は何をして時間を潰していたのか? 美保さんの同僚がこう証言した。
「店では(林のことを)吉川と呼んでいて、あだ名はピヨ吉です。吉川はホカ弁の『差し入れを食べない』と言って泣き、何でもない会話でもよく泣いていました」
 セックスサービスのない耳かきエステはいわば寸止め状態。林の要求はエスカレートしていく。
「まりな(美保)から『頭をなでろ、手を握ってくれ、と吉川から言われた』と聞きました。『ぼくのことどう思っているの。付き合ってくれないのならもう来ない』と言われたようです。『そういう気持ちで来るならもう来ないで』とまりなは答えたそうです」
 2009年4月、林は店の出入りを禁止される。独自で美保さんの住居を割り出した林は「理由が知りたい」と度々待ち伏せした。7月19日夜、林は「眠れないほど悩んでいる」と美保さんに伝えたが、警察に通報される。そして凶行は起こった。
 36歳でIT企業に勤め、吉川と名乗った林貢二。公判で「江尻さんに恋愛感情はなかった」と一貫して主張。この男は、何を守ろうとしたのか。多分、営業トークもあったであろう美保さんの会話。疑似恋愛が本気になった中年男に悲哀を感じる。
 裁判員裁判で初めて死刑が求刑された一審は注目を集めた。6人の裁判員が下した判決は無期懲役だった。

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小林俊之(こばやし・としゆき)
1953年、北海道生まれ。30歳を機に脱サラし、週刊誌記者となる。以降現在まで、殺人事件を中心に取材・執筆。帝銀事件・平沢貞通氏の再審請求活動に長年関わる。