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【裏歴史スクープ】本当はエロい将軍「徳川慶喜」#01

江戸幕府最後の将軍といえば徳川慶喜だが、じつは“超”がつくほどのスケベだという説もあるが果たしてその実態は──

徳川家に流れる性豪の血

 徳川慶喜といえば朝廷に政権を明け渡して明治維新に道を開いた最後の将軍と語られ、テレビや映画でも開明的な人物として描かれている。そのため彼の夜のいとなみのおさかんなことはほとんど語られてない。じつは彼も水戸徳川家のDNAをしっかり受け継ぐ稀代のエロ将軍だったのだ。だから家臣のあいだでは慶喜を「豚殿様」あるいは「豚一様」などと陰口をたたき、揶揄したものだ。
 水戸徳川家のDNAといったのは、「土芥寇讎記」では2代藩主光圀のことを「ココニ一ツノ難アリ。世ニ流布スル処ハ色ニ耽リ給イ、潜ニ悪所ヘ通ヒ、且ツ又常ニ酒宴遊興甚シ──」と述べ、水戸黄門で見るようなお人よしのイメージをくつがえし、やっぱり彼もスキモノだったことを暴露しているからだ。実際、光圀も酒と女に狂った放蕩時代を「西山公随筆」でこう述懐している。
「獣は腹満ちて食せず。毒を食せず。妊む時は淫せず。人間は反此。腹満つれども、毒と知れども、己が好むに任せ、妊ども欲を休めず。獣に劣れること深く辱べし」と。
 慶喜の父親の斉昭もスゴイ男だった。なにしろ9人の側室に22男15女をはらませる絶倫ぶりなのだ。しかも彼は若い連中にハッパをかけるありさま。山川菊栄著「幕末の水戸藩」はこう書いている。
「若い連中を多数つれていくのだから遊郭をつくらせる。そして男どもはアイヌの娘に強い日本男児をどしどしはらませるのだ」と息巻いたというのだ。
 すでに初代藩主にしてからが正室のほかに8人の側室をはべらせ、11男15女をはらませるほどの好色藩主。なので性豪ぞろいの水戸家の伝統的な遺伝子を持って生まれた慶喜であってみればエロ将軍であることになんら不思議はない。むしろ37人もの子を生ませた父親に比べれば24人は少なく、まだまだ励みがたりないといえた。
 それでもしかし家臣には「豚殿様」などとあだ名され、笑い話のタネにされるのだ。このあだ名は彼も斉昭に似て豚肉がことのほか好物だったことからついたものといわれている。じっさい慶喜の豚肉好きは知られている。薩摩藩家老小松帯刀は元治元(1864)年に大久保利通に送った手紙で、慶喜から再三豚肉をくれと催促されて閉口し、「手持ちはないと断るほかありません。聞き分けがないというのは困ったものです」と述べている。
 豚肉好きに加えてもうひとつ、慶喜はまるで豚のように際限もなく次々と子どもを生ませるのも揶揄される理由だった。けれど考えてみればそういわれても当然だったろう。なにしろ彼は毎年のようにせっせとはらませ続けて24人の子どもがいるエロ親父なのだから。しかも驚くのは側室同士が争いを起こさないよう2人の側室を交互にはらませ、公平に、バランスをとっている点だ。
(#02に続く)

取材・文/岡村青