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2011年の話と、とらドラ!の話

2011年の話

2011年の3月11日にしていたことをただ振り返るというだけの内容です。

高校3年生でした。大学入試は全て終わっていましたが、入る大学は決まっていませんでした。河合塾の大学生チューターから「神宮寺くん政経とか受けちゃいなよ」と持て囃されるほど絶対合格だと思っていた早稲田大学でしたが、受験した文・文構・社学すべて不合格。補欠合格に一縷の希望を託しながら悶々と日々を過ごしていました。センター試験結果を利用した入試で青山学院大学には合格していたのだけど、私服高校に3年間制服で通うような人間が青学に馴染めないことは分かっていました。ですが現実と向き合うため、青学の入学パンフレットを死んだ目で眺めていました。ここからどんな努力をしようとも、もう試験の点数は変わらないと悟って、余暇を楽しむことに決めました。

あの日あの瞬間は、近所のレンタルDVD店で借りてきた映画「フルメタル・ジャケット」を見ようとしていました。ケースからディスクを取り出して、DVDに入れようとしていたところで大きな揺れが来ました。借りていた「フルメタル・ジャケット」は見ないまま返却しました。それどころか、今日に至るまで未だに見られていません。

大学の話はというと、結局どこに進学するか決まらないまま卒業式を迎えました。卒業式の日も変わらず制服でしたが、「絶対合格」というハチマキを巻いて教室に入ったら、ウケました。3年間ずっと制服を着るボケを、最終日に見事「受験生のコスプレ」というオチにすることが出来ました。

その後、早稲田の文と文構に補欠合格を果たし、素敵な留年ライフが始まります。大学生活が奔放なものとなったのは、揺れた日に「あ、死ぬな」って確信したからだと思います。すぐ死んじゃうから、いま好きなこと好きなだけやんなきゃダメだって思っちゃいました。2011年の話、終わり。

とらドラ!の話

昨日急に「とらドラ!」のことが調べたくなって検索したら、どうやら今年は原作発売から15周年らしい。アニメしか見たことがないんですが、とらドラ!はマジで人生を変えてくれた作品と言っていい。言い切る。

中学生時代は完全に闇オタク期で、インターネットとアニメに傾倒していた。ニコニコ動画がサービス開始。アニメ「涼宮ハルヒの憂鬱」が時代を席巻し、いわゆる萌えアニメが量産される。自分もご多聞に漏れず大量のアニメを同時視聴していた。ただ見るだけでは飽き足らず、某美少女ハーレム作品を中心としたレビューブログを開設。そこそこのサイトビューを誇っていた。中学生ながら、Amazonアフィリエイトで月5000円とか稼いでいた記憶がある。

正真正銘全身キモオタクだった当時の自分にとって「萌え」の世界は、3次元という現実から逃れてたどり着いたオアシスだった。学校で気になる子がいないわけじゃなかったし、付き合ってる同級生のことがやっぱり死ぬほどうらやまうらめしかったけど、心のどこかで、自分はそういう風にはならないんだろうなーという諦観があった。

そのまま中学を卒業して、高校生になった。アニメは中学の時ほど見なくなったものの、ネットで話題の作品があれば必ずチェックしていた。高校1年生の始めに放送され、リアタイしたのがとらドラ!だ。

結構ガチめの声優オタクだったので、釘宮理恵がヒロイン、サブに堀江由衣のラブコメと来れば見ないわけにはいかなかった。序盤はツンツンしているヒロインが、物語が進むにつれ主人公との仲を深めデレていく、安心と信頼の釘宮作品。数話見たとらドラ!もそんな印象しか持っていなかった。

とらドラ!はそんな生易しい代物ではなかった。かわいい3人の女の子が主人公を取り合っちゃう!的なドタバタラブコメではなかった。ぬくぬくした萌えの温泉に浸かっていた俺を、とらドラ!は寒空へ放り出した。こんなにセリフでグサグサ刺されるアニメは初めてだった。異世界とかSFとか能力バトルではなく、学園ラブコメで女の子同士が生々しい殴り合いをするアニメは初めてだった。アニメキャラじゃなくて人間がそこにいると思った。全話見終わった後、3次元も悪くねえなと思えた。初めての体験だった。

とらドラ!を最後に、俺はアニメを見なくなった。高校では好きな子とかも出来なくて、やっぱり人と付き合うなんて夢のまた夢なのかなと思ったけど、結局20歳になるまでそういうことにはならなかったけど、あの時とらドラ!と出会わなかったら、ぬるいお湯に浸かったままだったかもしれない。それはそれで気持ちいいのかもしれないけど、やっぱりとらドラ!と出会えて良かった。でもあの時見逃したアニメは見たいと思う30歳手前の春です。


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