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僕はリコーダーしか吹けない

いつも「今の自分が一番面白い」と思って生きてきたけど、コロナウイルスがやってきてから、「あの頃は面白かったな」と回顧することが増えた。

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高校3年生。受験のストレスで頭が痒くなって、勉強中に頭を掻いてしまわないように、ピッチピチの水泳帽を被りながら机に向かっていた。小学生の時にプールの授業で使っていた、黄色くて額のところに「神宮寺」と名前が入ったやつ。それでも帽子の上から掻いてしまうから、黄色い水泳帽はいつも血だらけで、タワレコの看板みたいなカラーリングになっていた。

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服装の指定がない高校で、運動部は基本ジャージかユニフォームだった。文化部や帰宅部はいわゆる私服で登校していたが、自分は帰宅部にも関わらず3年間制服を着て通った。自宅近くの学生服販売店で適当に買ったブレザー1着。3年間ずっと同じブレザーを着て通ったのは学校でただ一人だった。高校生活をかけた壮大なボケだった。入学式の日にトイレで手を洗っていたとき、見知らぬ先輩から「君、なんで制服なの?」と聞かれた。「面白いと思って。」と答えると、「頑張ってね…」と苦笑いされた。確実にこれからイジメられる奴のエピソードだが、心の広い人間が集まっていたので、キワモノ的な立ち位置で人気者になれた。

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高校1年の時に生徒会長選挙があり、A組からH組まで、全8クラスから1人ずつ候補者を出すことになっていた。やりたい人がいなかったとしても必ず1人は候補を立てねばならない超絶★時代錯誤ルールで、ホームルームが荒れて女子が泣き出すクラスもあった。帰宅部の俺は、一刻も早く家に帰りたかったので、そういう面倒事を避ける意味もあり、自らが立候補してホームルームを秒で終わらせた。生徒会長になる気はこれっぽっちも無かったが、体育館で全校生徒を集めて行われる立候補演説に照準を合わせていた。演説では、当時の首相が経済活性化のために打ち出した「定額給付金」をネタにした。国民全員に一定額の現金を給付するという政策だったのだが、自分が生徒会長になったあかつきには正月に親戚からもらったお年玉を分配して全生徒に給付します、と宣言した。15年ほど前の俺は、人からもらったお金で前澤社長になろうとしていた。体育館が揺れるほどの爆笑をかっさらったが、選挙は一番真面目で誠実な人が受かった。すねかじり金配りに流されない、民度の高い高校だった。

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自分は、「目の前にいる人たちに対して何かを発表したい人」なんだということに、コロナになってやっと気づいた。
今までやってきたイベントも、演劇も、アイドルも、友だちと行く居酒屋でも、常に目の前の人を面白がらせたいと思ってやってきた。
それが2020年に全部なくなって、俺、終わったなーと他人事みたいにぼんやり思った。

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小学校の授業中、まともに発言をしたことがなかった。いつも回答は思いついていたけど手が挙げられなかった。授業参観で背中に親からの見えない圧を感じていた時も、クラスで唯一だんまりを決め込んだ。小学1年生、学級菜園で楽しく野菜を育てるためにはどうしたらいいか?をクラス全員で考える時間に、どうしても言いたいアイデアが思い浮かんだ。「野菜の収穫時期をまとめたカレンダーを作れば面白いのでは」。精一杯の勇気を振り絞って立ち上がった俺に、クラス全員が手を叩いた。きっとアイデアの中身ではなく、発言した事自体を称賛する拍手だった。

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そんな地蔵スタイルを貫く俺にとって、音楽の授業は地獄だった。特に小学3年時、担当教員が替わったことで始まった「発表の時間」は苦痛そのものだった。毎回授業のはじめに一人の生徒がなんらかの音楽的な発表をするという無茶振りオープニングコーナー。課題曲などはなく、内容は音楽的であれば自由。こちとら自由が一番困るんだよいい加減にしろよアメリカかよ。なぜか育ちだけは良いのでお受験しないと入れない小学校にいたのだが、それもあってかクラスメイトは、やれ自前のバイオリンを弾きだしたり、やれ『エリーゼのために』をピアノで完璧に伴奏したりとやりたい放題。自作の曲を披露するやつまで現れたときには、本当に消えたくなった。クラスメイト全員、初期装備になんらかの楽器を携えていた。俺は楽譜すら読めなかった。授業で習った合唱曲を小学生らしく全力で歌い上げる自信もなかった。自分の「発表」が迫ってくる日々。恐ろしくて仕方がなかった。

俺は仕方なくリコーダーを練習することにした。レベル1の俺に与えられたたったひとつの武器は、小さな縦笛だった。与えられたというか、それしか持っていなかった。発表前日の夜、母親に泣きついて、教科書に載っていた一番簡単そうな曲『おうまのおやこ』を徹底的に叩き込んでもらった。

おうまのおやこは なかよしこよし
ミソソソラソソソ ラドドレドラソ
いつでもいっしょに ポックリ ポックリ あるく
ドドラソララソミ  ソ ミミ ソ ミミ レレド

音階を今でもはっきりと覚えている。しかし改めて見るとすごい歌詞だ。この短いセンテンスの中で、2人も老人がお亡くなりになっている。ポックリポックリじゃないんだよ。

発表当日、震える足で壇上に上がった。片手にはリコーダー。頭の中で何度も何度も繰り返す。ミソソソラソソソ ラドドレドラソ。「ポックリポックリ」のところはスタッカート。よし完璧。始める前に「なんにも楽器ができないのでリコーダーを吹きます」的な言い訳をしたと思う。『おうまのおやこ』なんてタイトルは恥ずかしくて言えなかった。とにかく練習の成果を見せることしか頭にはなかった。大きく息を吸い込んでを吹いた。音が外れた。次ので取り返そうとする。また外れる。次ので、次ので、次ので。袋小路に入ったが最後、呼吸は荒れる、指使いはめちゃくちゃ。今すぐ消えたかった。いや、ポックリポックリしたかった。だが、耳に飛び込んできたのはクラスメイト全員の笑い声だった。音を外すたび、会場が沸いた。まさに大爆笑だった。その瞬間、初めて自分が世界に存在している感覚になった。それまで浮遊していたものにはっきりとした輪郭が与えられて、自分が象られて、曖昧だった世界との境界ができた。ただヘタクソで笑われていただけなんだろうけど、生きていていいのだと思った。

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今度の4月で30歳になる。3月で仕事を辞めることにした。10年間も大学に通って、好き放題生きてきて、リコーダーしか吹けないって分かってたはずなのに、頑張って楽譜なんか読もうとするからこれだ。だって周りの人みんなピアノ弾けるから、かっこいいなって思っちゃって。

でも僕はリコーダーしか吹けない。最初からリコーダーしか持ってない。
でも誰よりもリコーダーは面白く吹ける。
これからもポックリ ポックリ あるく。
     ソ ミミ ソ ミミ レレド



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