人間最期に背が高くなる
皆さん、こんばんは!
今週の火曜日の朝に小さい頃から、物心つくころまでずっと色々なことを教えてくれた、僕の先生みたいな存在だったおばあちゃんの妹=K子ちゃんが97歳で安らかに永眠しました。
そんなこんなでここ数日は、色々なことへのやる気を一気になくしてしまったジセおじGAMIです。
ここ3年あまりで家族と呼べる人を3人亡くしてしまい、父も障害者になってしまい、なんだかんだ激動とも言える月日が流れていきました。
凡そ3年前に99歳で亡くなる直前まで元気だったおばあちゃん、その4か月後の2年前に60代の若さで癌で亡くなった母親、そして今週、おばあちゃんとずっと一緒に住んでいて、小さい頃から色々なことを教えてくれたK子ちゃんが亡くなり、
僕、姉、父、母、おばあちゃん、K子ちゃんの6人で住んでいた時期もあり、本当の家族と呼べる存在の3人が相次いであの世へ旅立ってしまって、なんだか言葉にできない感じがあります。
昔の戦争のお話を生で聞けるのもなかなかない経験でしたし、
特に教育の面ではK子ちゃんは元々教師や料理の先生をしていて、小さい頃から、自分の手書きで書いた料理のレシピを見せてくれて作らせてくれたり、字の書き方を教えてくれたり、後はミシンかけとか、
生きるために必要なことを色々と教えて貰いました。
スイミングスクールに通うのに両親が共働きだったので、連れて行ってくれたり、おばあちゃんは怒りっぽい気性の荒い性格でしたが、K子ちゃんは怒った顔を見たことがない、そんな温厚で神様みたいな存在でした。
また、70代の時に大きな手術をして病気を治してくれた大学病院で、もし亡くなった時に※献体を希望することになっていたので、そういうところも誰かの為に役に立ちたいという、K子ちゃんの優しさがあったのだと思います。
K子ちゃんが亡くなる日の前日に、預かってくれていた施設で足が腫れていて、熱が出ているので病院に救急車で行くことになった旨を伝えられていて、入院するという話になって、今週末にちょうど実家に行く予定があったので、父と一緒にお見舞いに行こうって話していたのですが、
虫の知らせか、その日の深夜寝付けず起きており、深夜3時40分頃に、K子ちゃんが危ないかもという連絡が入り、なんとか頑張って欲しいと思いましたが、早朝に息を引き取りました。
朝起きて病院まで2時間程の道を急いで向かうと、10:30頃に大学病院に献体として遺体が運ばれてしまうので、その間の1時間ちょっとの間、霊安室でK子ちゃんの遺体と2人で過ごしました。
実はおばあちゃんと母が亡くなった時にはコロナの影響もあり、遺体の立ち合いみたいなのができなかったので、今回が火葬場でなく、霊安室で初めて遺体を見ることになりました。
一番最初に思ったのが、、、
えっ???
こんなに背が高かったの・・・
って思いました。
実際に90歳超えてからは少しずつ背中が曲がってきて、背もそんなに高く見えなかったのですが、霊安室で見たK子ちゃんは足も背筋もピンと伸びており、白い浴衣を着て、とても凛々しく、そして綺麗に見えました。
顔も最後は少し笑顔で、亡くなる直前は痛かったのか右目には涙の後みたいなのが残っていましたが、そこには生きることを全うした人の姿が間違いなくありました。
遺体が大学病院に運ばれる時間のちょっと前に姉が戻ってきて、姉と2人でK子ちゃんの遺体を見送りました。
そして姉とその後久しぶりにご飯を食べて兄弟水入らずの時間を過ごしましたが、そこで姉もK子ちゃんのことを
「本当に神様みたいな人だったよね・・・」
って言ってました。
怒った顔を見たことがないし、常に優しいし、人のためになんでもやってくれる人だったし、って姉が言った言葉を頷きながら聞いていましたが、
「でも、○○もK子ちゃんが神様だったら教祖様くらい怒らないよね!」
と言われました。笑笑
僕の家系は父は何か気に食わないことがあるとすぐに責任者だせ!って怒鳴るし、おばあちゃんも怒りっぽい血の気が多い人だったし、母もストレスかいつも怒っている印象があるし、姉も外面は良いけどすぐにヒステリックを起こす存在だったので、そう言われてみると確かにと思いながら、
そんな何気ない話をしながら7月16日を過ごしました。
もうすぐK子ちゃんが亡くなり5日経ちますが、ようやく僕も文章を書けました。
ペースは前ほどのペースではもうしばらく書けないかもしれませんが、ゆっくりnoteも文章を書いたり、読んだりを再開させていこうと思いますので、またよろしくお願い致します!
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