櫻井敦司という人

 私にとってこの人は、初恋だった。
 機能不全な家庭で育った私にとっては降って降りてきた天使。そんな人が先々魔王と呼ばれることになろうとは、その時点で思いもよらなかった。

 当時の音楽番組で目にしたその人はとても綺麗だった。世の中にこれほど美しい人がいるのかと驚くより前に、画面へ釘付けになったのを今でも覚えている。
 曲の終わりに、彼は膝を付いて遠くを見ていた。斜めから映し出された彼の顔はギリシャ神話に出てくる彫刻のようだった。

 札幌にツアーで来る度に足を運んだ。
 その足が遠のいた原因は、就職や結婚。それでもCDが出れば変わらずに購入していて、買ったばかりのシビックで流すのは流行りの音楽ではなく、その人の声。

 機能不全の家庭から逃げるように結婚をして、まあそこで一悶着あったりして。逃げる為だけの結婚なんて上手くいくわけもないので、当たり前のように離婚。
 そこでも彼の声が私を励ましてくれた。
 彼の声に、生かされた。

 今の伴侶と出会ったのは16年ぐらい前のこと。本社勤務の札幌支店で働くお父ちゃんと恋に落ちて、本社に戻るというお父ちゃんに付いて上京したのも、出会って間も無くの頃。

 慣れない都会、知った顔がまるで居ない、そんな生活を送るのに精一杯な毎日だった。
 いつしか本格的に音楽とは距離が出来た。

 上京して一年ほどが経ち、アルバイトを探していた時目に付いた職場は年末年始やらお盆などが繁忙期だった。
 仕事をすること、生活をおくること。
 必死になっていたらあっという間に15年も経ってしまった。それだけの長い年月、途中下車していたことに気付かないまま。

 突然だった。
 精神的に限界が来てしまい退職を決めて、今年は無理でも来年からはライブに参戦するぞと意気込んでいた。それを支えに治療を励んでいたと言っても過言ではけっして、ない。
 グッズを集めて、CDも月に1枚ずつ買って、と計画を立てていたところに突然のニュースが目に入った。

 亡くなってしまった。

 いつでも行けると、思っていた。
 行きたくなったら、行けると。

 もう叶わない。

 ステージの上で唄う姿を、もう見られない。

 信じられなかった。
 信じたくなかった。
 信じなかった。

 SNSでは、信じられないことがまことしやかに囁かれ始める。

 10月末日締め切りとする文学作品への投稿を控えていた。
 締め切りを目前にして、推敲が捗らない。頭の中にはライブ会場で何度も見た彼がいて、唄っている。

 もういっそ、全て投げ出してしまおうと思った。人生ごと。
 彼が存在しない世界には、未練が無かった。

 どんな方法で、まで考えた。

 その前に全ての曲を聴こう、それからでも遅くないと、色んな媒体で彼の声を集めた。
 途中下車していて間にリリースされた曲を聴くと、映像を見ると、不思議とチカラが沸いた。

 過去、苦しかった時に生かされたように。
 気が付けば、まだ私は生きている。

 櫻井敦司という人が存在していた過去と、存在していない現在では何が違うのか考えてみる。

 基本的には変わらない。

 ただ、愛しい人が居たという確かな気持ちだけ。
 彼にとって私は存在していないのと等しい。
 しかし私にとって彼という存在は、生きていく上で必要な存在だった。
 ただ、それだけ。

 12月29日。
 この日を迎えるのが怖かった。
 SNSではライブに行ける人達の書き込みを見ては羨ましく思ったり、無事に過ごせますようにと祈ったり。
 私と同じお留守番組の書き込みを見ては、同じ気持ちの人がこんなにも居ると分かって、勝手に連帯感を持ってみたり。

 会場でのメンバーのコメントを読んで泣けた。いっそのこと武道館前に行くだけでもと思っていたけれど、あの場所で正気を保っていられる自信が無かった。
 自分で自分を良く分かっている。
 出かけなくて良かった。布団の中で良かった。

 コメントを読んで、生きていて良かったと心から思った。後追いで、なんて万が一にでもニュースにでもなってしまったら…。
 そのことを目にしたお魚さん達の心だけでなく、新生BUCK-TICKの門出に傷を付けてしまうところだった。
 まあ、私の一件で傷が付くようなチャチなものではないとは思うが、それでもやはり無いに越したことはないだろう。

 櫻井敦司という人が存在しない世界。
 そこには、存在したという確かな現実がある。

 35年前のあの日、櫻井敦司という人を知って、出会えて、私は確実に幸せだった。
 存在しない世界を生きていく中でも、その事実だけで充分です。

 音楽と匂いは記憶と紐付いている。
 辛いことも、幸せなことも同じように。
 過去のどの曲を聴いてもライブへ足を運んだ前後の記憶が溢れてくる。
 胸の中の抽き出しがバッカンバッカン開いて、否応無しに当時の世界に引き摺り込まれる。

 これからは、新しいBUCK-TICKの曲で抽き出しをいっぱいにしていこう。

 来年のライブは行けるよう、心身共に健康でいよう。

 この先もBUCK-TICKを追いかけよう。

 今言えるのは、

 あっちゃん
 ありがとう

 あっちゃん
 大好き

 あっちゃん
 生き切るよ


           おわり

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