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  「伝えるための準備学」を読んで

     by 古舘伊知郎


僕が何を流しているのか、信じられなかった。パリの展示会から帰国の途につき、エールフランス航空のエコノミークラス、三人掛けの真ん中で、両サイドを年頃の外国の女性に挟まれ、文字通り肩身の狭い思いで、強烈な巻き肩で極力身を小さく、両サイドのレイディーにご迷惑が掛からないように図体のでかい僕は配慮していた。12時間の旅程、どんなに軽く表現しても地獄の様なフライトだった。

その苦しむ僕の頬を伝う何かに僕は驚いていた。それが涙である事に気づくまでの数秒、でも、そのほんの僅かな時間を、まるで永遠であるかの様に僕は感じていた。

当初から三年間、自分の我儘を通すのも三年と決めてからの決断だった。年商数千万の会社が、数千万の費用を投じてチャレンジする。玉砕覚悟の挑戦だった。

眼鏡業界には世界の三大展示会という物があり、パリのSILMO(シルモ)、イタリアのMIDO(ミド)、東京のIOFT(アイオーエフティー)、今ではIOFTは規模縮小の傾向にあり、香港や上海の方が余程規模も大きく集客能力がある程に立場は逆転していた。詳細な国力の比較等せずともニッチな業界の展示会が国力を雄弁に物語っていた。ただ、SILMOとMIDOは依然、規模も質も誇って開催されている。日本だけが沈んでいっているようだ。

僕は、眼鏡のパリコレとも言えるSILMOに自らのデザインしたフレームを引っ提げて、チャレンジするという決断を自らに下した。最初から、そんなハードルの高い事をせずに、先ずはセオリー通りIOFTからチャレンジすればいいじゃない。僕の周りはそんな声で僕の無謀とも思える挑戦に否定的だった。

でも僕はもっと楽観的だった。

何故なら僕の開発したフレーム、その名も「レチルド」は世界初の右利き用と左利き用の専用設計で、お客様個々の利き顔に合わせてコーディネート出来るというコンセプトで、僕の知る限り、左右非対称のフレームは少なからずあったが、それを線対称であるかの様にひっくり返し、非対称のデザインを施しツータイプ用意したフレームを僕は知らなかった。

こんな斬新なコンセプト、唯一無二、こんな事思いつくのは俺くらいだ。

僕の鼻は天井に届きそうな程に伸びていた。

その鼻っ柱と新作フレームを携え殴りこんだのが、三年前(※2024年から遡れば10年前)僕は意気揚々とパリの展示会の場にいた。

SILMOに三年間、結果には目を瞑ってチャレンジしよう。三球連続空振り三振でも、見送っての三振は止めよう。やった後悔、やらない後悔とあれば後者を選ぶ、それが僕の生き様だと恰好つけて思ってた。

でも結果は、見事に三球連続空振りで三振、僕の目標は一切達成できなかった。いや見事な空振り三振という目標は達せられた…。

冗談はさておき、僕の目標は、パリに一店舗、僕のブランドコンセプトを気に入って頂ける取引店を作る事。

一店舗、たったの一店舗も作れずに僕は惨敗した。

そして三年連続結果を出せなかった僕は、帰りの飛行機で独り涙したのだ。負け戦がこんなに悔しいとは思っても見なかった。人生初の徹底的にやられた瞬間だった。

何故負けた?今でもレチルドのブランドコンセプトは間違っていないと思っているし、その後追従するライバルも現れていない。唯一無二のスタンスは何も変わっていない。

では何が駄目だったのか?

それは今となっては良く分かる。

全てにおいて「準備」が足らなかったのだ。恥部を晒すようで恐縮だが、僕は世界初のコンセプトを見つけただけで、自分は宝の山を見つけた気になっていた。つまり、良い物、良いコンセプトの商品で、他に競合もいないから、黙っていても売れると思っていた。

それがまるで違った。実際には宝の山ではなく、レチルドはダイアの原石だった。

良い物を例え作ったとしても、その存在を知らせる準備をしなくてはいけない。

良い物を作ったとして、その存在を表現する言葉を準備しなくてはいけない。

良い物を作ったとして、日本以外で販売する事を考慮するなら、現地の文化や風習に合わせた言葉を準備しなくてはいけない。

僕は知らせる準備はした。国内で…。僕はパリのメディアにコネクションが一切無かった。だから、パリで販売する準備の「じゅ」の字もしていない。

現地の言葉で、伝える。現地の文化を理解して売り込む。

僕はこの考えがまるでなかった。通訳を雇えば伝わるだろう、商品が僕が黙っていても語ってくれるだろうとすら思っていた。

印象的なエピソードがある。僕が売り込みに必死になって現地のバイヤーに拙い英語で売り込んでいた時の話だ。(※フランス人って自分の言葉に誇りをもっていて、英語なんてまるで分からないと分かっていても無視する位に英語が通用しないと僕は聞いていたが、実際にはSILMO会場での公用語は英語だった。フランス人は流暢に英語を話せない為、僕のようなブロークンイングリッシュ人にはちょうど良い片言の英語だった。)

僕「僕のフレームを見て下さい。左右非対称になっているでしょ?これは僕ら人類は天に作られた自然の産物、だから多くの人の顔は左右非対称なのさ、非対称な顔に対称な工業製品である眼鏡を掛けると、それは顔の非対称さが際立ってしまう。だから僕のデザインした眼鏡は非対称なんだ。」

フランス人バイヤー「何言っているんだ。僕らは神に作られたんだ。だから僕らは完璧なんだ。」

と言って鼻で笑われた。僕は

呆然と立ち尽くし、しばらく言葉を発する事が出来なかった。

僕「そ、そうか、考え方が違うんだね。教えてくれてありがとう。」

で僕の売り込みは終わってしまった。更に言えば、

利き腕を右利きは、英語でライトハンディット、左利きをレフトハンディットと言いますが、

利き顔という言葉が英語には見当たらなく、一切伝わらなかったのだ。

ライトフェイスト、レフトフェイスト。

暫定的に言葉を作ってみたが、これでは伝わらなかった。これは台湾や韓国、香港等のアジア圏でも同様に僕のコンセプトは一切伝わらなかった。

この様に僕は、自分のコンセプトに酔い、売るための準備を怠ったと、今では気づいた。痛恨の失敗をしてしまったのだ。ダイアの原石を磨く努力を怠ったとも言える。

皆さんご存知かは知らないが、ブルーハーツの甲本ヒロトさんが、

「一番売れているラーメンが一番旨いなら、カップヌードルが一番旨いラーメンになってしまう。」と僕の心境を端的に言い表していた。

世界一のマーケティングと評価されるレッドブルも、飲料としての美味しさよりもマーケティングにより自社の知名度を上げていくスタイルでトップブランドになり得た。

決して良い品を作ったから、トップセールスになれる訳ではないと身を持って知ったし、その訳を知るのに僕の頭脳ではもう少し時間を要した。少なくともトップブランドになり得たブランドは総じて皆、自身の商品を売る為の努力(準備)を怠らなかったと言える。

今回ご縁があった本が僕に刺激を与え、僕に10年前の出来事を思い起こさせた。古舘伊知郎さんが書いた「伝えるための準備学」が僕にズドンと刺さった。それは衝撃を与えたし、自らの甘さを再認識させるに充分だった。

そもそも皆さんは著者に対して、どんなイメージだろうか?本書でご自身でも仰っているが職業、喋り屋。お話する事に対してのプロだと言えるし、プロレス、F-1で培った実況の専門家だとも言える。喋り屋いちろう、何て本も書いている。

アナウンサーとしてみれば、第一人者だと言っても良いと僕は思っているが、そんなトップを走っていらっしゃるお方の失敗談が、これでもか、これでもかと本書には書かれている。それはまるで恥部を晒すかのような行為だとすら僕は感じたが、その失敗が何故生まれたか、著者なりの感性で、準備が足りなかったと結んでいる。

あれ程のお方が周到に準備しても、足りないって、どれ位の努力を僕がしたら、僕は著者の尻尾位は見えるのだろう?少し眩暈がしそうになる。

そもそもSILMO以前の僕は努力をした事がなかった。もっと言えば、僕は苦労をしていないとも言える。象徴的なのは中学時代の部活動だった。

僕は適当にやって、バレーボールを楽しんだ。クラスでは少し上手い方、それが部活動では、当たり障りなくこなせて、でも、僕はそれ以上も望まなかったし、血を吐くようなトレーニングは希望もせず、若しもそんなメニューを課せられたとして、こなせなかったであろう。

苦労も努力もしていないから、いくら負けても悔しくもない。高波も来ないが、引き潮もない、凪の様な中学時代の部活動だったかもしれない。

そんな僕がパリから帰国の機内で、初めて悔し涙を流した。

僕は、あんな涙を二度と流したくない。いや、流したとしても、半歩でもいいから自分で自分の成長を確認出来るような取り組みがしたい。それを今は望んでいる。

レチルドがヒットする。これを僕は諦めてはいない。でも今は少しペースを緩めている。

今の僕は最優先課題は、業界の改革だと思っている。

眼鏡を変えれば国が変わる。

僕はこれを信じているが、過去の失敗を踏まえて本書から学べば、相応の準備をした上で、世論を誘導する必要があると思っている。

あの古館さんでさえ、失敗した。だから失敗を恐れたり悔んだりする必要はない。でも不十分な準備しか出来ていないとしたのなら、僕は過去の失敗から何も学んでいない事になる。

だから自らの未成長を恐れるべきだと感じている。

僕はこの国の在り様を変えようとトライしている。それがライフワークだとも言える。でも僕は、自身のその思いを自分自身で信じる事が出来ていない。いつもどこかで問題意識は持ち、それを改善する必要性も感じながら、

いつも頭のどこかで脳裏をよぎるのは駄目元という言葉で、この思いが消えずに、出来なかった時の言い訳を考えている。著者が、まさか僕のこの思いを見透かしている訳ではないのであろうが、僕は、この駄目元でという僕自身の甘えが、僕の信じる改革の道を自ら阻んでいて本書を読破した今、それに気づいてしまったのだ。

若しも、自らの人生に大きな壁を感じたり、大きな目標を掲げている方は、本書をご覧になり、是非綿密な準備で取り組んで頂きたい。少なくとも本書を読めば僕の様な失敗はしなくても良いだろう。

本書から引用すれば、

「心が幽体離脱するような心境で」(僕はこれをゾーンに入ったと解釈した。)

「準備は万全にしても、出たとこ勝負くらいの余裕が欲しい。」

準備をいくらしても、出たとこ勝負で行くのか、準備無での出たとこ勝負では、まるで違う事に今更ながら気づかされた。この様に金言の数々が、怒涛のごとく押し寄せてくる。

さて僕の旅はどんな道を描くのだろう?これからも僕は多くの方に僕の思いを言葉を用い語る。僕の思い描く改革は、法改正何て一切要らない。ただ国民が正しい知識を得て、正しく良い眼鏡を買い物出来るように世論形成し誘導出来れば良い。

勿論安い眼鏡も高額の眼鏡も共存するマーケットで良いと思う。原理主義で縛るべきではない。でも安い眼鏡で良いという選ぶ権利は、正しい知識があるという前提で選択の自由は機能する。最適解は自由と規制の中間のどこかにいると僕は信じている。右か左ではなく、中道だ。

僕は拙い自分の脳みそと言葉と、そして準備で、多くの方の手元に良い眼鏡が渡るその右と左の中間のどこかにある答えを見つけて国民が健全に暮らせる未来を発明したい。本書は僕にとって一見不可能に見える取り組みでも準備さえ怠らず、そして一度や二度失敗しても決して諦めなければ、夢は叶うと背中を押してくれるメッセージを感じた。

本書の中で眼鏡工場の方からこんな言葉を著者は頂いていて、本書でも引用していた。

小さく傷をつけていくことを「磨く」という。僕はパリでまた一つ磨かれたのだと気付かされ、自らの失敗体験を誇るかのように語る著者から、こんなメッセージを頂いた気がする。

最後に、本書で初公開のF-1実況の為に著者が書きなぐったメモの数々が公開されていて見どころ満載、F-1ファンなら垂涎物の歴史資料。これも本書の価値を途方もなく高めている事もF-1ファンとして書き記しておきたい。

令和6年7月22日 第一刷発行
定価:(本体2000円+税)
発行:ひろのぶと株式会社
発売:順文社




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