アダムスファミリーと羊たちの沈黙と3人の元夫


終わってしまいました大豆田とわ子と3人の元夫、も~ね、最後の方応援上映ぐらいはしゃいでしまいましたけども、はい、生きる希望ドラマがこの世にあるのは素晴らしいことだ。

さて、個人的な話になりますが今週特にガッときたシーンがありました。
前半第一話のリフレインから始まり、わーいい最終話、と思っていたのもつかの間、ここからまさか父母の話に触れるとは、となりましたねきっと誰もが。


映画の半券が出てきたじゃないですか。
アダムスファミリーと羊たちの沈黙でしたね。

ここ。

多少サスペンスホラーとかゴシックホラーが好きなら、当時生きていれば絶対に劇場で見たかった映画の1,2だと思うんです。

確かに、たしかにそういうのを全く楽しめない人がいるのもわかる。それはそうなんだけど、でも沈黙の冒頭5分で寝れる人間がいるなんて想像もつかないわけですよ。そういうの好きな人間からしたらね。だってまだクラリスが森の中走って、クロフォードに呼ばれて…最悪レクター博士登場前では…?そこで寝る?どういう…?自分だったらそんな人となんて絶対結婚できないけどね。なーんて思ってしまったりとか。ホホ。

でも、ちゃんと教えてもらえるんですよね、それでも愛してたことを。それでもちゃんと、夫と娘を愛してたこと。それに夫もちゃんと妻を愛してたんだよね、だって沈黙ひとりで見に行くか?楽しめないってわかってるのに、冒頭5分で寝てしまうのに。不器用な愛だ何て言ったら陳腐だけども。



そういえばカルテットのときは、似たようなこと、好きな詩集が鍋敷きになったとか、唐揚げのこととか、他人から見たら特段気に留まらないことで真紀さんは離ればなれになってしまったなぁ何て思い出して。

坂元裕二脚本はわかり会えない人間達の話を描いている、なんてブログを読んだことがあってその時はまさにその通りと思ってたけど、芯からわかりあえていなくたってお互いを愛することはできるんだよってのが今回わかったような気がします。優しい結末だ。カルテットの鍋敷きみたとき、それはそれで心にガッときて、ぜっっったいに無理!!と思ってしまったけど、とわ子を見たらそれでもいいんだーって思えて、脚本が世界に優しくなりましたか?なんてアホのことを考えています。

根本には分かり合えないがあるんだけど、それでも…ということを感じさせてもらいました、という文章でした。おやすみなさい。


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