ルックバックを読んで不愉快になる人もいるんだな
インターネットの全員が読み、もれなく絶賛した、ルックバックというマンガがありました。
作者はチェンソーマンで一躍超人気作家になった藤本タツキです。
今日、その内容が差し替えられたと発表がありました。統合失調症の患者に対して差別的な表現ではないか、という意見があったそうで、正直驚きましたね。表題でも言いましたけど。
ま~驚いた、そんな捉え方もできるんだと思いました。でも確かに、言いたいこともわかります。被害妄想から凶行に及ぶというのはまさに世間的に捉えられがちな統合失調症のステレオタイプで、作中では理不尽な、例えば災害のような暴力として使われていたから。実際の患者さんからしたらそりゃたまったもんじゃないでしょう。周りからも言われるかもしれません。「あなた、幻聴が聞こえるんでしょ」「あのマンガの犯人みたいに無差別に誰かころすんじゃないの」なんて。言われたとしたら自分は耐えられない。それは本当にそうだと思います。
これ書く前に、精神科医とおっしゃる方の文章も読みました。ほかの描写はすごくいいのにここだけステレオタイプじゃない?統合失調症を話の通じない悪役にしてない?実際に会った患者にこんな人はいなかった、と、すごく雑にまとめたので真意を汲み取れないかもしれませんがそんな感じでした。
正直納得しました。そうだよね、実際にこんな人はいないよね、と思いました。わかりやすい悪役だよね、と。
ただね、そこじゃないんですよ。
今回の一件、統合失調症の患者が差別を助長するとして内容の変更を申し出た。それは、きっと正しいことなんでしょう。差別を助長する可能性は確かにあるから。
だからと言って、書き直させるということが正しいことかというと、自分は違うと思います。
自分の好きなマンガで、「月光条例」というマンガがあります。
作者は「うしおととら」や、「からくりサーカス」の藤田和日郎です。
詳細は省きますが、作中で、チルチルという少年がマッチ売りの少女を可哀想に思い、その作者(ハンス・クリスチャン・アンデルセン)にこの子をハッピーエンドにしてくれ、さもなくば…と脅すシーンがあります。(月光条例はおとぎ話のキャラクター達が物語を飛び出すお話なのです、ぜひ読んでください)
それに対するアンデルセンの答えは、
「それはできない」
という言葉でした。
曰く、作者は、必ず言いたいことがあってお話を作る。だから、お話を書き直してしまったら、そこでそのお話は死んでしまうんだ。作者の言いたいことが言えなくなってしまうから、と。
今回の一件、まさにこの通りだと思いました。
藤本タツキは、自分がマンガを読む限り無意味な設定をキャラクターに与える男ではありません。マキマという名前、地獄の悪魔の6本指、などなど、そこら中で考察されているように。
そこから考えるに、ルックバックの殺人犯があのような言動をした、ということにも、必ず意味があることなのです。
ルックバックの公開された日付から考察されている方も多いそうですが、やはり、そういうことなのでしょう。
言及はしませんがきっと、藤本タツキはあの事件を偲んでこの「ルックバック」という作品を描いたんでしょう(もちろんそれだけではないと思いますが)。
でなければあの犯人に幻聴や被害妄想の設定を乗せる意味がないからです。
だから悔しいでしょうね、作者は。言いたかったことが言えなくなってしまったから。言うなればお話が死んでしまったから。
先に挙げた精神科医の方の文章に、ゴールデンカムイではもっとポップに異常な人間を描いていたとありました。何が言いたいのかさっぱりわかりませんでした。作者が描きたいものが違うこともわからないなら作品にケチをつけるんじゃないよと思いました。
私たちの気持ちを想像してよ!と言うのなら、作者の気持ちも想像しろよ!って思います。
昨今の不謹慎とか、差別的とか、言いたいことはわかります。そりゃね、その主張が正しいか否かといわれたら正しいんだからそれはそうなんです。
しかし、創作がどんな意味を持つのかについて、もう少し考えたらどうなの、と思うのが本心です。
長々と失礼しました。
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