一般人女性と考える住民訴訟
(ご注意)
わたしはただの公務員(裁判所職員だっただけ。裁判官ではない。)という点をお含みおきください。
次回はヒューマンライツ・ナウについてと言ったな?
あれは嘘だ!
…すみません、嘘じゃないんですが、どうしても先に公開したい記事ができてしまったので、順番が前後します。ボルガ博士、お許しください。
2023年1月20日、暇空茜氏(以下「暇空氏」という。)は、東京都及び都庁職員に対して、住民訴訟を提起した。その訴訟の第1回口頭弁論期日が同年3月13日午前11時である旨が、同月8日、暇空氏から発表された。
住民訴訟について、少しまとめてみよう。
住民訴訟とは
住民訴訟制度とは?
上記引用部分を噛み砕くと、
住民からの請求で、一定の求めにより、自治体の財務の適性を確保し、住民全体の利益保護を目的とする制度
と読める。
早速余談になるのだが、難しい条文を読むときや公文書を読むときは、原則→例外で見るのが基本である。特に括弧書きやなお書きがある場合、それらは例外であることが多いから、一度()部分を全部消して読んだり、なお書き以降を消して読んだり。「または」、「若しくは」は「分岐」なので、どこが分岐の末尾なのか見定めてから全体を読むと、複雑でまどろこしい文章も簡単に感じるようになると思う。
わたしは法律の考え方は非常に理系的な要素を含んでいると感じている。特定の条件下での再現性を求められるからかもしれない。
話を住民訴訟に戻そう。
裁判には種類がある。例えば、民事訴訟、刑事訴訟、人事訴訟(身分に関するもの、離婚や養子縁組等に関する訴訟)等。
住民訴訟は行政訴訟の一種である。東京都に対する住民監査請求は監査委員という該当する行政手続に直接関与していなかった者が行うが、東京都の中、つまり行政機関内で完結していたと思う。これに対して、今回暇空氏が起こした住民訴訟は、裁判所という外部機関かつ司法機関へのアプローチである。
元職員としての雑感だが、裁判官にはいろいろな人がいる。個性的な人がいないわけではない(前回の記事をご参照ください。)。しかしながら、全体の人数からすると、特定の思想に偏った人で裁判体が構成される確率はガチャでSSRを3枚抜きするみたいな確率だ。
さらに裁判所は三審制をとっている。不服があれば、最高裁まで争うことができるし、上に行けば行くほど関わる裁判官の数も多くなる。
したがって、司法に対する個人的な評価としては、現状問題ないと思っている。
問題が起こってから、立法機関を動かす方法もあり得るだろう。
悲観的になる必要はないのだ。
住民監査請求はなぜ必要か
ではなぜ、最初から住民訴訟をしないのか。
これは、住民監査請求前置主義をとっている、つまり法の建て付けがそうなっているからとしか言えないのであるが、もう少し踏み込んでみたいと思う。
立法趣旨というものを考えてみる。次のように整理できるだろう。
・財務会計的な知見が必要となるため、
専門家であろう行政判断が先となるべき
・自浄能力があるうちは内部で完結することが
地方自治の本旨(憲法92条)に沿う
地方自治の本旨 → 自主的・主体的
(以下の引用部分も参照)
・住民訴訟よりも住民監査請求の方が
簡易かつ迅速な対応が可能である
・数を絞ることで裁判所の負担が軽減される
住民訴訟制度には上記のような理由から住民監査請求前置主義を採用しているため、「住民監査請求」と「住民訴訟」の請求の対象が同一であることが必要となる。
請求の同一性がない場合、住民監査請求を前置したとは言えないことになり、その住民訴訟は「不適法なもの」として却下される。
今回の住民訴訟で東京都が2023年3月6日頃に提出した答弁書に補足として「本案前の申立て」との記載がある。これは、この主張を用意しているものと考えられる。これは暇空氏の事案に限らず、よく問題になりやすい部分なのだ。
少し長いが、地方自治法から条文を引用しておく。太字の部分がキーワードになるので、気になったら読み比べてみてほしい(ちなみに、後にくる条文と比較することで、前の条文が読みやすくなることもある。そういう小技もある。)。
では、どうして問題となりやすいのだろうか。
一つ目の理由は、「条文の文言の違いによるもの」である。
住民訴訟は類型が限定されている。他方、住民監査請求はあくまで「監査を求める制度」という性質上、住民訴訟の類型よりも柔軟な文言になっている。この差が問題になることが多いということである。
二つ目の理由は、一つ目に似ているが、「性質の違いによるもの」である。住民監査請求は、行政のブラックボックスの部分を明らかにしてほしいという請願に近いものである。住民訴訟の段階では監査結果により具体的に請求することが可能であるが、監査結果が出る前の段階、すなわち、住民監査請求の時点では請求が包括的になることになる。
三つ目の理由は、時間的経過に伴う事態の変化である。住民監査請求ではある行為の差止めを求めていたとしても、住民訴訟の前にその行為が既に実行されてしまった場合、住民訴訟では金銭による賠償になることも考えられる。
上記のような理由が考えられるだろう。
しかし、請求の同一性が必要であるからといって厳密な運用がされるかというと、そうではない。
暇空氏のことを追いかけている方々なら既知であろうが、「裁判とは裁判官わからせゲーム」である。どういう意味かというと、「裁判官は良心と法律にのみ従い判断するが、事実については当事者の主張したものを採用するので、自分にとって有利になる(と思われる)事実については自分で主張しなければいけない」というルール、また、そのリーガルバトルを暇空氏が好きなものに例えて「ゲーム」と呼称している。
裁判とは、自己の事実認識に基づき、主張を広げていくものだ。
これを住民訴訟に当てはめた場合、被告はある程度の事実を把握している一方、原告は被告以下の事実認識にとどまるのは、当然のことである。その中で、「上記のようなルール+請求の同一性の厳密な運用」がされると、裁判官わからせゲームは超ハードモードになってしまう。そうするとプレイヤーが限りなく0になってしまう。形骸化するのはよろしくない。
そのため、学説や判例でも緩やかな運用がなされている。というのが現状である。
論文レベルであれば、人的側面(人数の増減、対象の変更)等、もっと詳しく記述するべきなのであるが、本記事は情報整理及び公益目的のために作成しているので、ここでは割愛する。(なお、人的側面でも緩やかな運用が認められているようである。興味を持たれた方はぜひ、調べてみてほしい。)
まとめ
簡単にまとめると以下のようになる。
① 住民訴訟は住民監査請求を経てからの提起が必要
② ①のため、両者の間には請求の同一性が必要
③ 本案前の申立て検討中というのはおそらく②のこと
④ ③は一般的にも問題になることが多い
いよいよ暇空氏と東京都(+一般社団法人Colabo)との住民訴訟が開幕する。
WBCが注目されているが、今後のWBPCと暇空氏の攻防からも目が離せない。
次回の予告ですが、(現在転職活動中のため)ライトな話題でお茶を濁していこうと思います。ヒューマンライツ・ナウも同時並行で書いてはいるので、待っててくれめんす。。。
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