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雨の夜の月のお話

こんにちは。

いち編集部のリアルです。

察しのいいあなた、そう、このアカウント名は、ヤンデル先生の『いち病理医のリアル』をもじったものです。あの本、企画提案時は『病理診断のリアルをお話します』(その前に『HIV診療のリアルを伝授します』という本をリリースしておりまして)だったのですが、さすがY先生の独特な感性のおかげで「いち」がつき、「病理医」となり,「をお話します」が省かれたのでした。もう本当にY先生らしい、ご謙遜とネーミングに関するセンスのよさ、と申しますか、あのご本の、思考の迷宮のようなエッセイのコンセプトそのもの、あるひとりの病理医の、決して一般化できない(秀逸という意味)、彼だけのリアルな病理医ワールド、そんなお題を瞬殺で考えてしまう方なのですね。あのY先生という方は。

おっと、早くも脱線しました。

というわけで、あまり深く考えることもなく、あのご本を担当させていただいた栄をもじって、「いち編集部のリアル」なのです。「リアル」と申しましても、コトバのニュアンスとしては、「実相」という意味のリアルでございます。

さて、リアル編集部は、日本で一番古い株式会社(創業150周年!)、ええと、「M」の字がつく、書店グループの出版社に属しておりまして、神保町、もうお昼食べるところたくさんありすぎて「やばい」みたいな日本一の古本屋街、出版社街、喫茶店とカレー店と定食屋と中華の店とラーメン激戦区の一角のビルでほそぼそと編集を営んでおります。岩波ホールの近く、お隣は集英社さん、岩波書店さん、さらに一つビルを挟めば、あの「ドラえもん」の小学館さんというビックな版元さんたちの自社ビル群が控えておりますが、リアル編集部は、本当に細々と人員も3名で、日々営んでいるのでございます。

3名と申しましても、山椒はぴりりと辛く、少なくても「可」でして、当方アラフィフのH(おのこ)と、やり手の相棒のH(女性)、そしてW(こちらも女性)の3名で頑張っているのです。もう猫の手もかりたい。それくらい本数を抱えております(幸せなことです)。

で、総合学術出版社の「M」の版元におきまして、STM(サイエンス、テクノロジー、メディカル)の3つの柱のうち、「M」を担っておりまして(社名と同じイニシャル、関係ねぇか)、医学書出版に従事しております。じつは医療島は社内にもう1つ編集チームがありまして(もちろんそちらが主流)、他方、リアルチームは細々と臨床系の医学書開発(最近は理学療法士さん向けの本などにもちょっと手を伸ばしたり)をしておりまして、例えば、「極論で語る」シリーズ(研修医向け)であるとか、「高齢者のための」シリーズ(超高齢社会の臨床指南書?、イワケン先生の座談会がとってもユニーク、本音出しすぎ)とか、「あめいろぐ」シリーズ(「あめいろぐ」って何? アメリカに従事する日本人医療者の情報発信サイトのもじり)とか、はたまた「極めに・究める・リハ」(理学療法士さん向けの「極論」なのよね)とか、おいおい、3名でシリーズラインナップ4つもかよ! とツッコミが入りそうなんですが、もう、本当に貧乏暇なしなんでございます。まじリアルで、これが「実相」です。忙しすぎて、もう、脳みそ、溶け出しそうでございます。

と、自己紹介が少々長くなってしまいましたので、記念すべきnoteデビューの第1回目の本題に移りたいと思います。

リアル編集部のH(1971年生まれ、いのしし)、昔は文学青年でして、古今東西いろいろなノベルを読んだのですが、(今はまずノベルを読みません、なぜか35歳以降、ノベルがすっかり読めなくなりました。最近少し復活…)中でもちょっと(いいえ、かなり)好きなのが、上田秋成の『雨月物語』。もう、字づらが最高じゃありません? 雨の夜の月のものがたり。だいたい雨の夜に月みえねぇし、なのに月。月はしばらく眺めていると心をもっていかれるぐらい美しい青々とした輝きがありますが、まさに雨の夜の月、本来見えるはずもない、幻影のようなコトバの物語を紡ぐ、という秋成さん独特の感性がお題にもそぞろに匂うのです。で、その序文がまた、すさまじい。ちょっと長いですがやっちゃいますよ(お付き合いください)。

「雨月物語序
羅子撰水滸。而三世生唖児。紫媛著源語。而一旦堕悪趣者。蓋為業所偪耳。然而観其文。各々奮奇態。揜哢逼真。低昂宛転。令読者心気洞越也。可見鑑事実于千古焉。余適有鼓腹之閑話。衝口吐出。雉雊竜戦。自以為杜撰。則摘読之者。固当不謂信也。豈可求醜脣平鼻之報哉。明和戊子晩春。雨霽月朦朧之夜。窓下編成。以畀梓氏。題曰雨月物語。云。剪枝畸人書。」

「現代語訳
羅貫中は水滸伝を記して。子孫三代聾唖の子が生まれ。紫式部は源氏物語を著して。一度地獄に落ちたという。これは偽りを真実として書いた業が己が身に及んだためである。しかしながらその文を読んでみれば。それぞれ興奮するほどにおもしろく。鳥がさえずり静まるがごときめりはりは真に迫って。抑揚も転がるようで。読者に共鳴を与える。太古の事実を目の当たりにするがごとしである。私はちょうど、いま語るにふさわしい閑話を持っている。語りたいままに語ってみたい。それは雉が鳴き龍が戦うがごとき話である。自分でも杜撰であることは認める。よって本書を読む者も実話として読んではならない。創作を私が書いたとして、どうして報いを受けて兎口・獅子鼻の子孫が生まれることがあろう。明和五年の晩春。雨晴れて月がおぼろにかすむ夜。窓の下にて編成し。これを書肆に託して。雨月物語と題した。剪枝畸人ここに記す。」
(日本古典文学摘集より(https://www.koten.net/ugetsu/yaku/010)

16歳の時、この一文を読んで、本当に恐ろしくなりました。当時は小説家になりたい、なんてしょんべん臭い夢を抱いておりまして、古今東西の文学をせっせと読んでいたのですが、この一文を読んでまさに「冷や水」を浴びせられたわけです。羅漢中も紫式部も小説を書いたばかりに子孫に聾唖の子が生まれ、あるいは地獄に堕ちる、って何? です。

しかしここにコトバを生業とする者に対しての(あるいは秋成自身への)戒めの表白があるのですね。つまり、コトバにはまやかしがあり、そのまやかしにはある種の毒があり、魅惑があり、人をたぶらかすと。でも、自分は小説を書くことをやめたくない。たとえ罪人となっても、子孫が苦しい思いをしたとしても、コトバをつむぐ仕事を生涯の生業としたいと。その宣言がこの序です。ま、秋成さんは、実話としては読んではならないなんて、逃げ口上を述べておりますが、コトバには虚実あり、実話も寓話もないのです。その世界に入り込んだら迷宮であり、そこで感じたことが実相なのです。仏教でいえば「唯識論」(ママ)です。

何がいいたいかというと、医学書編集、そう、人の命のかかわる救命の術を述べる編集者として、ありとあらゆる編集職の中で医学書編集ほど「嘘」がゆるされないコトバの編集もなく、そこに虚実の「虚」はあってはならないのです。今もなんであまたある編集職のうち、医学書編集(もう一般の人は読まないし、構成はかたいし、コトバや表現の遊びは許されないし、正確性が第一だし、著者はみんな専門職で余計なこと言いづらいし、俺だって文芸書とか、建築書とかアートの本やりてぇ…(笑))を選んだのか不思議に思うことがあるのですが、この世界に入ったのが27歳のとき(その前は別の世界を放浪していました、プーもしていたかな)、とっても初心でピュアだった当時の彼(僕)は、一番はじめにお世話になった出版社さんでの面接で

編集を通じて、世の中に役立つことをしたい

と一意専心、そう思ったのでしょうね。たしか、そのような口上を述べた記憶がございます。

ちょっと話が飛びますが,それから時は経ち,いくつかめの出版社の外資のアカデミックな専門書を扱う版元さん(前職)に在籍していた時、たいへんな人材難で、いろいろな方の採用面接をしたのですが、その中のおひとりにエロ雑誌の編集長だった方がいたのです.で,「なんで、そういう媒体の雑誌編集の編集長までされる方が、まったく方向性の異なる学術書のエディタを目指されるのですか?」と今思えばちょっといじわるな感じですが,採用する側として聞かなければならずそんな質問したところ、その方が「もう10年間、エロ雑誌の編集者をやっていて、デスクの上に女性の裸の写真とかあって、それはそれで真面目に取り組んでいて、やりがいもあるのですが、なんというか、きちんと自分の人生を見詰めなおしたくて」と申されたのです。(最近『全裸監督』という作品を見て、エロの世界にも情熱があり、山田孝之の演技にもとても感心してしまったのですが)その時、その方のご返事を聞いて、どう返していいのかわからなくなり、とても切ない気持ちになったことを覚えています。

編集に上品も下品もありませんが,そこに「嘘」がなければ,どのような媒体でもいいと思うのです.そしてそこに一意専心没頭できればなお素晴らしい話です.私の場合は,医療系の情報発信だったのですね.たまたま.

おっと、『雨月物語』から『全裸監督』へと飛躍してしまいましたが、それくらいコトバを生業とする者は自分らが発信するコトバに対して、その作用・反作用に厳格でなければならない。その作用・反作用の先にある(もしかしての「毒」)に対して、リスクヘッジでなければならない。リスクヘッジというコトバ、あまり好きでありませんが、どんなに出版文化が成熟したところで、どんなにSNSやそのツールが多様化され、誰でも情報発信ができるようになったところで、厳密にコトバの作用・反作用にストイックでなければ、編集者として「それは嘘になる」と思うのです。

ゆえに『雨月物語』なのです。

幻想の耽美の世界ならいざ知らず、医学書の世界においては。

その医療情報に藁をすがる思いでたどりついてこられる方々に対して、あるいは,日々アップデートされる最新の医療情報を研鑽し寸暇を惜しんで医術を学ばれる方々に対して、そのほか多くの読者の皆さんに対して、そして自分の研鑽を著述として発表してくださる多くの著者先生に対して、編集職である自分は常に『雨月物語』の序文の禁忌を、自分の戒めとして言い聞かせております。

羅子撰水滸。而三世生唖児。紫媛著源語。而一旦堕悪趣者。蓋為業所偪耳。

でも、その戒めさえ、ベースにしっかりあるのならば、そのストイックな覚悟さえあるのならば、医学書編集として,その情報発信の仕方は多様であっても「いいんです!」と思うわけです。そして読者の方も、その本ごとに、その読み方も多様であって「いいんです!」と思うわけです。

多様性万歳! 

というわけで、だいぶおセンチなしめくくり(展開)となりましたが、これが、いち編集部のリアルのリアルな実相の告白でございます。この告白をまず、最初にやっておきまして、そう、あとはお気楽に参りたいと思います。

次回は、10月新刊のお話

ご清聴(読)ありがとうございました。

2019.09.12

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