見出し画像

ゲルハルト・リヒターのビルケナウを見ました。

2022年12月27日の豊田市美術館

ゲルハルト・リヒターの日本での美術展は、今回、東京都と愛知県でしか開催されない。
『ユリイカ』『美術手帖』でも特集されるくらいなので注目度満点の画家だと思うのだが、なぜなんだろうか。

殺された8人の看護学生

ゲルハルト・リヒターがモデルにするものは何か引っかかりがある。
8人の看護学生が殺された事件があった。その被害者の写真をモチーフにされた作品がある。

犯人ではなく、被害者をモチーフにしている。
ぼけたような写真だ。でも、その人の生きていた生活や何かをリアルに想像してしまう。
1960年代のリヒターの作品はこういうモノクロームの写真をもとにしてものが多い。
かと思えば、たんにグレーの平面的な絵もある。

グレーは、「何の感情も、連想も生み出さない」「可視であると同時に不可視」「『無』を明示するに最適な」色彩らしい。1970年代のリヒターは反絵画的な傾向があったのあろう。

不法に占拠された家

1980年代に描いた絵はカラーなのだが、なんか漂っているような揺れているような。この家はリヒターの住んでいた部屋から見えたらしい。

1990年代に描いた絵は、反絵画的であるというより、反表現とでも呼べるかも。

この絵は、「鏡、血のような赤」と名付けられている。
この絵を見ると自分の影が赤の平面に映る。
血のような鏡に写るのだ。

2000年に入って、リヒターの絵はカラーがビビッドに表される。
ケルン大聖堂のステンドグラスは25色のカラーチャートを使って描かれている。

ストリップ
その後に、ストリップというカラーの線だけの作品がある。

そして、カラーのアブストラクト・ペインティングを描き始める。

それから、2015〜2019年のビルケナウ。

ビルケナウ

ビルケナウの4枚の作品とそれらのコピーが鏡のように向かいに並べられている。
図録で見ると作品だけを見ているのだが、美術館で見ると、ビルケナウを見る人間たちを見ることになる。

この美術展は、ほとんどの作品を撮影しても構わないルールになっている。禁止されているのは二つだけ。
ひとつは一点だけ展示差されているビデオ作品。
もうひとつが、ビルケナウのもととなった隠し撮りされたアウシュビッツ収容所の写真。
気づかずに取ろうとしたら、係の女性に止められた。
ああ、この係員はそのためにいるんだと改めて思った。
でも、一日中、ビルケナウといっしょにいるこの職業の人は幸せなのか不幸せなのか。
この空間は圧倒的な存在感でビルケナウが迫ってくる感じがある。この圧を一日中受けるのはちょっと辛いようにも思う。

アウシュビッツ収容所の写真が向かいのガラスに映っていた。それを撮る自分を入れてちょっとした作品にした。

ビルケナウは何を表しているのだろうか?

ビルケナウは4枚の写真で構成されているが、真向かいにそれぞれのコピーが四分割で作成されている。
上の写真は、4つ目の作品のオリジナルとその下がコピー。
アウシュビッツ収容所はユダヤ人の厄災に留まらず、人類の厄災であり、その暴力はコピーされるように繰り返される可能性がある、という解説があった。
なるほど、これらの作品と対になったコピーはそういう意味なのか。
撮った写真の上にペイントする手法をリヒターは好んで使っている。

アブストラクト・ペインティング

ビルケナウで歴史にけりを付けた後、リヒターはアブストラクト・ペインティングをたくさん描いた。

アブストラクト(抽象)といっても上の絵なんかは、スカートから伸びた女性の足と赤い靴に見える。

ビルケナウは誰かの家に飾られる作品ではない。あまりにも重すぎる。
でも、色彩鮮やかなアブストラクト・ペインティングは家に飾りたい気がする。

この美術展でリヒターの作品を一時間ほど見たが、絵を見るだけで感動する展示だった。
ゲルハルト・リヒターはとても静かな、とても重い力を感じる画家だ。

今年の最後にとてもいい思いをした。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?