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エゴン・シーレ展 ~自由になることと憂鬱になることの狭間~

美術館に行くときはなるべく作品や画家の知識を入れないようにしている。
そのほうが先入観にとらわれることなく、自由に作品を楽しめると思うからだ。
このNoteに書いていることは、絵を見た後、水沢勉『エゴン・シーレ まなざしの痛み』東京美術、『エゴン・シーレ 自作を語る画文集』八坂書房を読んだり、映画『エゴン・シーレ 死と乙女』を見たりした知識に依っている。

エゴン・シーレの作品を見るのは3度目だと思う。
でも、これまで見たのはどこかの美術館のコレクションの何点かで、今回のように120点も一挙に見たことはなかった。
画家としてのこの人のことを深く考えることもなく、ただ猥褻で美しい絵を描く人だと思っていた。
今回の美術展は、東京都立美術館でしか日本で公開しない。
それで、東京まで日帰りで出かけた。

☆美術展入り口

グロテスクな自画像

エゴン・シーレにはたくさんの自画像を描いた作品がある。

自分の内面を深く見つめるとどうなるのか?
エゴン・シーレの自画像は、輪郭がゴツゴツし、色合いはどれもグロテスクだ。
陰部も細かく描いているが、体全体が陰部みたいにも見える。

ぼくが自分を完全に見るとしたら、ぼく自身を見なければならないでしょう。そしてまた、ぼくが何をしたいのか、ぼくの中を何が通り過ぎていくのかということだけでなく、見る能力をどれくらいもっているのか、ぼくにはどのような手段があるのか、どんな謎めいた実体からぼくは出来ているのか、ぼくが認識し、また今日までぼく自身に関して知っていることのどれくらいのものからさらに出来上がっていくのかについて,自ら知るでしょう。
(1911年9月コレクターのオスカー・ライヒェル宛ての手紙)

『エゴン・シーレ 自作を語る画文集』八坂書房

「ほおずきのある自画像」(1912年)という有名な絵も美術展にあった。
ほおずきの赤との緊張感がこの絵を特徴付けていると解説されていた。

☆ほおずきのある自画像

確かにほおずきの赤が生きている。
エゴンシーレの絵には赤がほとばしったように使われる。

クリムトと自分を合体させた「隠者たち」(1912年)という作品がある。二人の後ろのほうに小さな赤いバラが描かれている。

☆隠者たち

二つの肉体が動いているところは灰色の天国ではなく、悲嘆の世界であり、そこで二つの肉体は孤独に育ち、大地から有機的に生まれて来たのです。この世界全体はそうした人物と併せて、本質的なものすべての「儚さ」を実現することになります。一方の萎れた一輪のバラは真っ新な無垢を吐き出し、二人の人物の頭に置かれた花冠と対照をなしています。
左側の人物は、深刻な世界の前に身を屈め、彼の冠の花は冷たい印象を与えねばなりません。私が言いたいのは、無慈悲な感じであり、枯れてしまった花ということであり、力なくも激しく、ますますつっかえつっかえ話すだけの重病人のまさに大きな声の言葉に喩えたいということです。
(1912年2月コレクターのカール・ライニングハウス宛ての手紙)

『エゴン・シーレ 自作を語る画文集』八坂書房

エゴン・シーレの絵の中でときどきこんなふうに赤が散ったように使われている作品がある。
自画像はグロテスクで、所々にほとばしった血も見える。
自由で奔放な生活をしていたエゴン・シーレ。
でも、自分の内面を見ると欲望ががいかに醜く、死と隣り合わせなのかを表しているようにも思える。

クリムトとのこと

エゴン・シーレは17歳の時にクリムトに会っている。そのときクリムトは45歳だった。クリムトははやくからエゴン・シーレの才能を見抜き、その後も支援した。

クリムトがエゴン・シーレに与えた影響は大きいのだろう。
画風はゴッホの影響のほうが強いと言っているらしい。
ウィーンで上流社会の肖像画家として活躍していたクリムトを介して、エゴン・シーレは分離派の画家たちとの交流もできた。何よりクリムトがエゴン・シーレの才能を早くから買っていたことが後のエゴン・シーレの活躍の舞台を作ることになった。

「抒情詩人」をコレクターに送ったときこう書いている。

☆抒情詩人

この絵は、G.クリムトが、そうした顔を見ることは喜びであると語った、あの絵なのです。―それは確かに、今のところ、ウィーンで描かれた最高の作品なのです。
(1911年1月コレクターのオスカー・ライヒェル宛てへの手紙)

『エゴン・シーレ 自作を語る画文集』八坂書房

クリムトの「接吻」の構造を模した「枢機卿と尼僧(愛撫)」(1912年)という作品がある。
欲望を露わにした聖職者と誘惑と罪悪感の間で戸惑う尼僧を、自身とモデルのヴァリーをモデルにして描いた。

☆枢機卿と尼僧(愛撫)
☆接吻 クリムト

ただ、クリムトの接吻には、倫理を超えた至高の愛のような感じを受けるが、エゴン・シーレの絵にはバタイユの小説に出てきそうな倫理を冒す禁断の愛欲のような印象がある。尼僧はどこかの誰かに見られている。

1918年にエゴン・シーレが描いたウィーン分離派展のポスターがある。
一番奥に座っているのはシーレ、前の席が空席となっているのは亡くなったクリムトを偲んでのことだった。最後まで敬愛していたのだろう。

☆ウィーン分離派展のポスター

人間も風景も憂鬱に見える?

エゴン・シーレは風景画も多く描いている。
とくにクルマウという母親の実家があったところで描いた絵が多い。

自分を深く見つめた自画像はグロテスクで陰鬱だ。人間を見る眼がそのまま風景を見る眼になっているような風景の表現だ。

東京都美術館のエゴン・シーレ展では、この風景画のコーナーだけが写真撮影が許可されていた。

「吹きすさぶ風の中の秋の樹」という作品がある。
自画像の体の色合いがそのまま秋の色合いになっている。エゴン・シーレらしいグロテスクな色合いだ。白とグレーがうねっている。

☆吹きすさぶ風の中の秋の樹

クルマウで描いた「小さな街」という作品がいくつかある。
これなんかは、屋根の黒がうねっている。

今ぼくはこの街をまずはカンヴァスニ大きめ目に描くつもりです。もちろんそその土地自体はもはや考慮されることなく、ぼくの記憶によるものです。・・・さらに多くのことが違った風に構成されます。
(カール・ライニングハウス宛ての手紙、1913年3月24日)

『エゴン・シーレ 自作を語る画文集』八坂書房
☆小さなⅢ
☆小さな街Ⅳ

エゴン・シーレにとって目の前の風景はあまり重要でないのだろう。
記憶に残った風景の印象をエゴン・シーレは思いだし、再構成しているのだ。

習作も行っていますが、ぼくが思い、そして分かっていることは、自然のままに写生することはぼくにとって重要ではないということです。というのも、風景の幻影として、記憶に従って描くほうがよいからです。ー今ぼくはとりわけ、山や水や木や花の身体的な動きを観察しています。至る所で人間の肉体の内に同様の動きが、植物においては歓喜と苦悩の同様の動きが想起されます。ぼくは画法だけでは満足できません。色彩で絵の質を生み出せるということを知っています。極めて親密に、心身ともに、夏に秋の樹木を感じ取る。そうした憂いをぼくは描きたいのです。
(コレクター、フランツ・ハウアー宛ての手紙、1913年8月25日)

『エゴン・シーレ 自作を語る画文集』八坂書房
☆ドナウ河畔のシュタイン

身体を見る眼が風景を見る眼というより、エゴン・シーレは風景のなかに身体の動きを見ている。空も屋根もうねる。
ゴッホの空はそのなかに渦巻きがある。エゴン・シーレの絵は空がうねっている。風景画を見ると、クリムトよりも同時代のゴッホの影響が強いようにも思える。

神または絶対者

「啓示」という作品がある。

エゴン・シーレEgon Schieleの1911年、21歳頃の作品、《啓示 Offenbarung》だ。。
エゴン・シーレにしては珍しく、画家本人による実に難解な説明がされている。

生ある存在の啓示、それも偉大な人格の持ち主が燃え尽きて、肉体自体が持つ光を使い果たしています。それは右手前に描かれた生気のない男のことのようです。よく見るとその前に後ろ向きのの男が屈んでまるで拝んでいるように見えます。彼は生気のない偉大な人物に感化されて、催眠術にかけられたように偉大な人物の中に融けて流れていくように見えます。問題は背後にいる左側の人物ですが、これは右側の生気のない偉大な人物に似た存在でありながら、異なった風で、偉大な人物から幽体離脱した死神のような存在に思えます。生と死で一体の存在が分離して描かれているようです。その生死一体の偉大な存在に手前の跪く小さな男が融け入る瞬間を描いたということのようです。これがシーレのある意味、宗教観、実存論、等々を絵画芸術で表現した哲学的な美術なのでしょう。神秘芸術と理解すべきなおでしょうか。この作品は1912年1月にブダペストでの新芸術集団の展覧会に出展されました。

『エゴン・シーレ 自作を語る画文集』八坂書房

☆啓示

エゴン・シーレは何か絶対的なものに突き動かされて絵を描いていたようにも思える。
それが神なのか、いや死神なのかよくわからない。
「啓示」が示すものはその神か死神と一体になって溶け込む自分がいるということなのかもしれない。

エゴン・シーレ展を見た二つの疑問への答え

エゴン・シーレ展を見て、気になることがいくつかあった。

そのうちの二つは、映画『エゴン・シーレ 死と乙女』という映画を見て、ああそうかと思った。

ふたつの気になることとはこういうことだ。

「横たわる女」というとても豊満な女性の淫らな姿を描いた美しい絵。そのモデルは妻だが、顔を取り替えたと解説にあった。それはどうしてか?

それと同じ頃、別れた恋人がモデルになった「死と乙女」という代表作を描いていた。それはどういうことなのか?

この映画はエゴン・シーレの伝記的な物語だ。

エゴン・シーレは幼い頃、脳を冒された父を亡くす。梅毒だった。
しかし、エゴン・シーレは早くからその才能を見いだされていた。美術学校に通うが、すぐに退学して、新しい芸術家集団を作る。しかし、その集団は金に困った若者たちの集まりに過ぎなかった。
幼女のヌードに惹かれ、田舎の家に幼女を集めてモデルにしたが、告発があり、裁判所から呼び出され、禁固刑になった。
クリムトからヴァリーという女性を譲り受け、気に入ってモデルにしていた。やがて二人は恋人になった。長い間その女性の絵を描き続ける。
戦争への徴集が決まると、その恋人を捨てて、アトリエの向かいに住んでいた中産階級の女性と形だけの結婚をする。結婚をしていると戦争に行っても家族とホテルに泊まれるからだ。そこで妻をモデルに絵を描いた。エゴン・シーレは絵を描いていないとどうしようもなくなるからだ。

☆横たわる女

しかし、映画によると、妻が「淫らな絵のモデルだと思われるのは嫌」と言ったとか。だから「横たわる女」では頭部を妻でない女性にした。

妻はヴァリーと違い、ふつうの家庭のふつうの女性だった。
エゴン・シーレが妻・エーディットを描いた絵もある。

ストライプのドレスで座っているエーディト・シーレ

それはそれで、エゴン・シーレにとって幸せな生活だったのだろう。

一方、捨てた恋人のヴァリーは、その後、看護師になって戦地で亡くなる。
しかし、エゴン・シーレ自身も数年の結婚生活後、夫婦ともにスペイン風邪で死ぬ。そのとき妻には胎児がいた。

28年の生涯は短いと思っていたが、エゴン・シーレらしい死に方なのかもしれないとも思う。
その捨てた恋人と自分を描いた絵が「死と乙女」だ。「横たわる女」を描いたのと同じ頃の作品だ。

☆死と乙女

これが真実の愛を表しているのか、ヴァリーに対する懺悔なのか、よくわからない。

エゴン・シーレは、画家として天才だったが、とてもひどい男で、いやひどい人間だった。
その意味がこの映画の解釈でよくわかる。

エゴン・シーレが描いた世界は、人物だけでなく、風景もとても憂鬱で猥雑な感じがする。
それは、エゴン・シーレが画家とか詩人を気取っていたからそう見えたというのではなく、そもそも人間や世界がそういうものだとエゴン・シーレは思っていたのかもしれない。
幼い頃、梅毒で亡くなった両親、画家として絵具を買うにも困った貧困生活。そういう経験がエゴン・シーレのあの画風に影響していたのだろう。
自由な欲望と憂鬱な気分との狭間を行ったり来たりしていたのかもしれない。
そう思うと少し同情する。

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