深いかもしれない文章
全世界に公開されるものではあるが、半分メモ代わりに、半分他の人が見ても違和感がないように書く。
「失敗してはいけない」状況が苦手だ。
代表例を挙げるとすると、受験。
あとは、フリーランススクールに通った(?)ときの経験。
高校生の自分は、とにかく失敗したくなかった。
偏差値の高い大学に行くことが正義だった。
「何で偏差値の高い大学に行くべきなのか」については、考えたことがなかった。
「何でじゃなくて、そういうもの」だと思っていた。
お腹が空いたから、ご飯を食べる。
夜になったから、寝る。
それと同じ論理で「偏差値の高い大学に行くべきだから、勉強する。」が成り立っていた。
「とにかく偏差値の高い大学に行くべき」以外の思考回路を持ち合わせていない人間だったので、偏差値の低い大学に行くことは、自分の中で失敗だった。
そして失敗したくない自分がとった行動はずはり「過去の自分にすがりつく」「他人の意見をそのまま受け入れる」の2つ。
中学生の自分は、学校が嫌いで塾が大好きだった。
塾のおかげで、高校受験でそこそこ偏差値の高い志望校に合格した。
この経験から高校でも同じ系列の塾に通って、「この塾にいる先生のいうことを聞いていれば、大学受験も自然と突破できるに違いない」と信じて疑わなかった。
冷徹で怖い英語の先生、間違ったことをいうと超大声で怒鳴り散らかす古文の先生。
それらの先生にも耐えて、言われた通りに予習も単語テストの準備も復習もやっていた。
朝から晩まで塾の自習室にこもっていた。
でも正直、心の奥底で「このままじゃ受からないだろうな」とは思っていた。
実際、点数も全然上がっていなかった。
心のどこかでまずいと思っていたし、どうにかしたかった。
でも高校生の自分は「自分で工夫する」ことができなかった。
我流でやったら受験に受からないし、先生に怒られるし、我流でやって失敗しても誰も助けてくれないし、一から勉強方法をリセットするのはしんどいし。
こう思っていた。
だから言われたことだけを、言われた通りに、ただただこなしていた。
これじゃだめだと思いつつ、その感情は押し殺して、ただやっていた。
今思うと、このとき自分に不足していた視点は主に3つ。
言い換えると、このときにいて欲しかったなと感じる大人は主に3パターン。
①過去の経験から得たぼんやりした幻想から「目を覚ませ!」と言ってくれる大人。
②心の奥底にある気持ちを優先し、自分の人生を自分で決めることの大切さを教えてくれる大人。
③自分なりに工夫をすることの大事さを伝えてくれる大人。
私は結局この3つができる人間が増えて欲しい。
この3つができて欲しいという意味で、「目の前の人を、本質的に幸せにしたい。」と考えている。
多分この記事は、後日加筆すると思う。(8/24)
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